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『はたらくこと』を考えてみたというお話

佐々木俊尚さん @sasakitoshinao と糸井重里さん @itoi_shigesatoの対談がほぼ日刊イトイ新聞で掲載されてました。

テーマは『はたらくことのおもしろさ』。

佐々木俊尚さんは僕がTwitterを始めた2010年にはバリバリとTwitterでキュレーションされていて、情報を自らの見方をそっと添えて提供するというものに触れたときの衝撃はいまでも忘れられません。

ちょっとTwitterを離れたというか活発に何を書くともなくROM専で過ごしていた時期があるのですが、そんな時に佐々木俊尚さんの朝キュレは楽しみにしていましたし、旅の写真記事なんて見るとワクワクしてました。

片や糸井さんといえば、ぼくにとってはMOTHERです。もうそれだけで十分といえるほど、感謝しきれません。それまでのRPGとは相似ながらも異なる文脈を強く感じたのがすごく印象に残ってますし、大好きです。

そして、すごい人じゃないですか。すごい人なのにまったく肩肘張ってる感じがしないし、そうであることはぼくにとっての理想なんです。だからこそ、尊いなぁ、と思いながら日々のTweetを拝見している次第です。

そういえば、ほぼ日のコンテンツにはMOTHERを扱ったものもありますので、ぜひご覧くださいませ。

そんなぼくにとって思い入れのある2人が対談するってのを知らなかった訳ですが、知ってたからといって現地に行けたかといえば行けなかったでしょうね…

まぁ、それは置いといて…

“はたらく”ことは人にとって必要なことなんでしょうかね。

大昔のように「狩猟をしなければ食事にありつけない」とか、一昔前のような「農家のせがれなんだから農家として一生を捧げながら自給自足だ」なんて縛りはなくなりつつあります。

現実、第一次産業の就業者数割合は、総務省統計局が出している『明日への統計2017』にわかりやすく記載されているのですが、大きく減少し、第三次産業に関わる人の方が多くなっています。

これって大半の仕事はサービス業になっている訳で、いわゆる一次産業だとか二次産業に“いなきゃいけない人”の絶対数が減ってるということです。

第一次産業が大変なのは容易に想像できます。小さい頃に父親の実家が農家だったこともあり、"本家"の親戚とともに手伝っていたことがありますが、自然を相手にすることがものすごくしんどかったのは覚えています。

そこに関わる人たちが多かった時代は、きっと“はたらくことは苦しいことの連続であり、その対価としての給与”がものすごく貴重で大切なものであったことでしょう。

それが二次産業になっても同じような気持ちを抱かざるを得なかったでしょう。というのも、工場での作業はもちろん簡単ではなく、職業訓練校があるぐらいですから一定の技術と知識も必要です。

製造業に関わる中で一番怖いのは身体欠損リスクであり、指が潰れることやあつい鉄を溶かした水が自らにかかってくることもないわけではありません。鉄粉が目に入ることもあれば、切削機に手が巻き込まれることもあります。

だけど、そこに関わる以外に選択肢がなかった場合、そこに関わらざるを得ない背景が自らにあった場合には止むを得ず、その場所で"はたらくこと"を選ぶでしょう。

だからこそ"はたらくこと"は生きるために不可欠なことで、自らの家族を含めて"生活"とのトレードオフのような考え方もそれなりに浸透していたのだと思います。

この"生きるために不可欠"という認識が変わっているのではないでしょうか。

おそらく、僕と生活をともにする子どもたちが20代や30代になった時には、それが顕著になっているのかもしれません。というか顕著になってるだろうな、と。

というのも、第三次産業と呼ばれるものは主にサービス業で、言ってしまえば、たとえ無くても人が生きていけるものです。消費者側が「あったらいいな」と感じたことを提供するから成り立っているもので、根源的にはなくても生きてはいけるのが第三次産業。

こんな言い方をしたら怒られるかもしれませんが、つまりは趣味の延長みたいな話で、それに対してお金という信頼を得ることができたら商売として成立するし、できなければ成り立たないということでゲーム性が強くなります。

僕もこれまでコロコロと仕事を変えてきましたが、それらは全てサービス業ですし、その業態や職種が存在しなくとも人が生活する分には何も困らないものばかりです。

じゃー、僕はなんではたらくのか、ということになりますが、その答えみたいなものを糸井さんが述べてくれたような気持ちになったんですね。

今回の対談の中で糸井さんが、はたらくのが嫌なのに結局はたらいて50年を迎えるという流れから、それは自信があるからなのかと聞かれた際に答えたのが"自信という形では持っていないけど「できるような気がする」という思いを持っていた"ということを述べています。

自信についてはよく質問されるテーマなので、
何度も考えたことがあります。
でも、自信という形ではぼくは持っていなくて、
問題に対して、その都度、
「できるような気がする」という思いを
持っていたと思うんです。

たとえば、ぼくが佐々木さんと対談をするときに、
「できないんじゃないかな」と思ったら、
来られなくなっちゃいますよね。

あ、これかもしれないな、と思った次第です。

糸井さんと違って、ぼくはMOTHERを生み出したわけでもないですし、ほぼ日みたいなコンテンツでありコミュニティを醸成したわけでもありませんから対比なんてできませんが、そんな小さな男の人生も結局は「できるような気がする」という自信ではないけど、少なからずやりたいと思える気持ちがあったからなんだと思うんですね。

この言葉に、すごく素敵な出会いを果たした気持ちになれたのですが、そもそも"はたらく"というのは自己実現の場を求めていることの現れであり、最終的になくても生きていける仕事をすることは趣味と大して差がないという認識を強くしました。

それでいうと、ぼくは自分がやりたいとかなりたいと思える姿をずっと追い求めてはたらいてきたのだと思っていて、その根本は別にできなくてバカにされてもなんとも思わない気持ちがあったからなのかもしれません。

そんな風に考えることができる文章というか対談に出会えたことはすごく嬉しかったし、現地で聴けていたとしたら泣いていたかもしれないぐらいに響いた内容でした。

まだ続くようなので、引き続き読ませていただきたいと思います。

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