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入院生活11日目(09/26)の記録

09/26

これまで夜から朝にかけて、意識がなくなるわけではなくて、なんとなく意識がある状態で数時間が過ぎるような感覚だったのだけど、今回、3時間ほどは完全に意識がなかったように思う。なんだか得した気分だ。

日が昇ったタイミングで、自分自身の体を起こしてみる。頭の中に靄(もや)がかかったような“感覚”は未だに消えないのだけど、起きてすぐにグラグラするようなことがない。

「…あれ、なんだかいい感じだぞ」なんて思いながら立ってみる。“普段通り”というわけにはいかないけど、意識通りにできているともいえないけど、たしかに“昨日まで”とは違う。

“いい感じ”なのかもしれない。そんな自分にワクワクして、自身に期待を抱きながらトイレまで行く。

相変わらず、左足に力がみなぎってる感じはしないし、歩いてる中で脱力しようとする。カクッと落ちるような感覚が歩いてる中で起こるのは、決して気持ちのいいものではないし、怖さがある。

ただ、頭がいつもよりもクリアになった状態で歩けているのはうれしい。ちょっとウキウキしながら病室のベッドまで戻ってきたら、回り始めた。

そんなに話を簡単には済ませてくれないみたい。ひどい時には、目をつむっても消えないから気持ち悪い。

この日からリハビリが本格化し、理学療法と作業療法をどちらも並行して行っていく形になった。

それに加えて、肉体的な制限、つまりは病状による制限事項(脳性麻痺など)が、所見上は何もないから“行けるところまでやる”というところ。

やり始めてから、改めて自分の体が日常生活に耐えうるだけの“ちから”を身につけられていないのを実感。

ため息も出ないから、ため息の代わりにやる気を出すしか道がない。やれば確かに変わる実感があったのも影響していて、魔法のような効果とは言わないまでも、訓練を重ねることによって変化をしそうな手応えを感じたのもあって、能動的に取り組みましょうね、なんて気になった。

左手足は利き手利き足側でなかったから、食事をしたり、歯を磨いたり…といった日常生活内の所作における不便さは感じなかったものの、歩くのには苦労してる。

左足に体重が乗らないからだ。左足に力が入らない原因はさっぱり分からないのに、力が入らないことだけはハッキリと自覚できていて、実際に歩いたところでまともに歩けない。

自分が車イスに乗ることはもちろん、歩行器を使わなければまともに歩くこともできないのかと思うと、ことさらに切ない気持ちにもなる。

だけど、嘆いてばかりはいられない。

いま、自宅には妻が一人で3人の子供に対峙している。その苦労は計り知れない。いや、むしろ日常的なものだから積もり募って、ものすごくツラいかもしれない。

申し訳ない気持ちでいっぱいなのだけど、この状態では戻れないし、いつまで…というのもわからないからツラい。

だから、ごめんよ。もう少し、時間ください。リハビリがんばります。

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