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日月なきところにも昼夜あるべし

僕の好きな建築家の一人エリザベス・ディラーが、「美術館」という類型化した建築空間はそろそろ考え直してもいいんじゃないかという文脈で、こう言いました。

> 作品を収蔵しそして作者と市民とが交わる場所を、なにか別の言葉で語ることはできないでしょうか。
(Are there different words to explain a place that is a repository of art but we artists share and exchange between the public?) |"The Future of Art"

世界という生存空間も同様に考え直す必要がある。人間どうしや、人間と自然とが交わるその場所を、なにか別の言葉で語ることはできないか。その言葉の集成が仏法であり、正法眼蔵なのだと、僕は思っています。たとえばこんな一節はまちがいなく「別の言葉」ではないでしょうか。

月のときはかならず夜にあらず、夜かならずしも暗にあらず。ひとへに人間の小量にかかはることなかれ。日月なきところにも昼夜あるべし。日月は昼夜のためにあらず。日月ともに如々なるがゆゑに。|正法眼蔵第二十三・都機

文法的注意を一つ。「かならずしも」の「しも」は強調助詞で、付いても付かなくても意味は同じです。「かならず夜にあらず」は「かならずしも夜ではない」という意味です。

月のときが夜と決まったわけではない。これが、昼の空に残っている月だってあるという当たり前の事を言っているわけでないことは、すぐ後でわかります。夜が暗いと決まったわけでもない。同じく、明るい夜もあるってことをわざわざ指摘しているのではありません。

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