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道元、水と空と月と花と

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13世紀(鎌倉時代)に活躍した僧・道元の主著『正法眼蔵』のエッセンスを書いています。
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記事一覧

桃花おちて身心脱落せん

さとりを開くということに関して、いくつか伝承されたエピソードがあります。小石が竹に当った…

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雪裡梅花只一枝

『正法眼蔵』の大部分は「読む」というよりは「登攀する」という感覚に近く、雲間から一瞬見え…

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月ぬれず 水やぶれず

帝釈天「善現さま、般若波羅蜜多はどのように学べばよろしいでしょうか」 善現「般若波羅蜜多…

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一夜、落花の雨

藤原俊成の『古来風躰抄(こらいふうていしょう)』の初めの方に、こんな文章があります。 春…

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花は愛惜にちり

藤原定家のたぶんいちばん有名な一首。 見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮 和…

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大悟三枚を拈来して少迷半枚をつくるなり

仏教に関するたぶんいちばん広まっている誤解は、「仏教はさとりを得るための教えである」とい…

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この空かならず花さく

前回のつづきです。世界を事物の集合ではなく、事物の近傍の集合とみる。近傍系としての世界。そこでは事物間の関係、たとえば順序や因果が脱落する。近傍間の関係だけが残る。それは、離れるか重なるかだけ。ずいぶん奇妙な、不自然な世界観に見えますよね。でも、もしかするとわれわれが自然と感じているふつうの世界観だって、魚や鳥からみたら、相当に奇妙なものかもしれない。ただそれに人間が慣れているだけなのかもしれない。だったら、近傍系だって、慣れたら〝自然〟に思えるのではないか。 慣れるにはべ

有料
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日月なきところにも昼夜あるべし

僕の好きな建築家の一人エリザベス・ディラーが、「美術館」という類型化した建築空間はそろそ…

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うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく

水と空は『正法眼蔵』にたびたび出てくる表象です。たとえば「現成公案」の巻から。 うを〔魚…

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禅宗の称は、魔波旬の称ずるなり。

仏教に多少なりとも知識・興味をお持ちの方は、道元の名を聞いて、禅宗、なかでも曹洞宗の開祖…

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空の飛去するとき、鳥も飛去するなり

というわけで、至宝の蔵を開けます。最初に『正法眼蔵』というタイトルの意味とか、道元はどう…

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