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花は愛惜にちり

藤原定家のたぶんいちばん有名な一首。

見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮

和歌史は花と紅葉を中心に展開してきたと言っても言い過ぎではありません。統計をとったことはありませんが、この二つの対象が代表的な主題であることは動かない事実でしょう。ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ(紀友則・古今集)は、春の日の穏やかさのなかで花だけが散りつづけるコントラストが絶妙ですし、見る人もなくて散りぬる奥山の紅葉は夜の錦なりけり(紀貫之・古今集)は、見てはいない奥山の紅葉の錦と輝く月夜が想像のなかで艶な美しさを増幅させます。そうして言葉の技を平安四百年をかけて歌詠みたちに磨かせた、美の定石というべき花と紅葉を、なんと定家は除いてしまった。

ですが、花と紅葉を究めた者にしてはじめて、さびれた小屋がひとつ見えるだけの秋の夕暮に、あるいみでは花と紅葉を超える「あはれ」を発見できたのでしょう。藤原定家 1162-1241 と道元 1200-1253 は同時代に生きていました。時代がいっしょどころか、話ぐらいしているかもしれません。道元の父(一説には兄)源通具は定家とともに、新古今集の五人の撰者の一人でした。定家がなんか打ち合せで通具邸に寄るなんてこともあったかもしれないし、そのとき、聡明そうな子が寝殿造りの庭で遊んでるのがちらっと目に入って、和歌で話しかけてみたなんてことはなかったでしょうか。あったと僕は確信するのです。なぜなら、後年、道元少年は『正法眼蔵』にこう書いているからです。

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