見出し画像

正法眼蔵 2/100

雪峰は晩唐期のメジャーな禅僧の一人で、その住持する寺には一五〇〇人もの修行僧がいたという。ある僧が雪峰のもとを離れて一人、山奥に草庵を結び、柄杓を一本作って、渓水を汲んで暮していた。髪は伸び放題になっていた。同僚だった僧が、彼がどうしているか気になって、草庵を尋ねていって、禅の定番の質問をした。「祖師西来意はなに?(達磨が西からやって来た意図=仏法の真髄は何か)」。庵主の答えは、

たに深くして、杓柄そうひん長し。(渓深杓柄長)

同僚僧が寺に帰ってこれを報告すると、雪峰は侍者に剃刀をもたせて、自らその草庵に急ぐ。庵主を見るやいなや、言った。

なにか言えば、おまえの頭を剃らない。(道得不剃汝頭)

説明を入れると、「道得」は唐代の俗語で、道=言う、得=達成のニュアンスをもつ動詞接尾語。「道得」は(仏法の核心をつく言葉を)言う、という意味になる。「祖師西来意」を問うのと同じく、仏法の真髄に言語表現を与えよというわけです。で、ふつうなら、道得すれば、おまえのそのボウボウの頭を剃ってやろうとなるはずが、剃らない。どゆこと?

雪峰は「渓深杓柄長」を聞いて、こやつ、できる… ていうか、うちの寺を出て山奥に数年、できるようになったと一瞬で判断したにちがいない。Jリーグを出て、東欧のどこかのマイナーなチームで技を磨いているときいた。プレミアでもブンデスでもない、見知らぬ町のシュワーボが彼に柄杓一本持たせて、世界最高の技術を伝授していたのかもしれない。わしの目に狂いがなければ、やつはわしと1対1勝負ができるはずだ、弟子に剃刀一本持たせて、さっそくサラエヴォに降り立つと、彼の姿を見るやいなや、必殺のフリーキックを放つ。道得すれば不剃。これに反応できるはずが······

庵主は頭を洗って雪峰の前に来た。雪峰は髪を剃った。

「道得不剃なら、不道得で剃ってもらえる」という解釈はシンプルすぎてありえない。禅問答って、道得してナンボなのだから。その程度であれば雪峰がわざわざ勝負に来るわけがない。

これになんとか合理的解釈を付けようと考えるのを、やめたい。本人たちにしかわからない、至高のやりとりがあったのだ。道元もただ絶賛の言葉を並べるだけで、説明を付けない。曰く「この一段の因縁、まことに優曇の一現のごとし(優曇は三千年に一回花を咲かせる)」。曰く「あひがたきのみにあらず、ききがたかるべし(遭うことが困難だけでなく聞き及ぶことすら稀)」。(正法眼蔵第三十三「道得」岩波文庫・二 287p-)

この一段にかぎらず、道元は多くの箇所で、仏祖たちの1対1を引用し、ときに自分も第3のプレーヤーとして加わりながら、しかしその意味を合理的に説明するということをしない。けれどもそれは「禅は非合理を本質とする」と彼が考えているのではないことは、確実なのだ。なぜならいたるところで、非合理主義を厳しく批判しているから。

こう思う。道元はコミュニケーションの形を探求している。禅の問答、道得のやりとり、それは他の宗教にも哲学にも、文学にも、もちろん日常会話にも、見たことのない新しいクオリティをもったコミュニケーションだ。そのような場を、おそらく道元は日本にいる間は体験していなかった。宋に渡り、如浄=シュワーボのチームではじめて、それを眼のあたりにした。正法眼蔵第二「摩訶般若波羅蜜まかはんにゃはらみつ」に、如浄のを引用している。なお「般若はんにゃ」とは仏の智慧のこと。

渾身似口掛虚空(全身が口の形をして虚空に掛り)
不問東西南北風(東西南北の風を問わず)
一等為他談般若(等しくかれのために般若をかた
滴丁東了滴丁東(ティーティントン、ティーティントン)

どこからやってくる「風」にも応えて玲瓏な音を響かせる。その音は一定ではない。もし合理的な説明を与えれば、それが一つの定まった解になってしまう。そうすることよりも、禅コミュニケーションの実例を見せて、範例となればいい。そもそも道元が幼少の頃からなじんだ和歌も、そうだったはずだ。一首がさまざまなイメージを喚起して、参集した人々の間でやりとりされる。和歌の言葉を、仏法の言葉に置き換える。そうすると、何が起きるだろうか。新しい言語世界が開ける···かも?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?