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お風呂に入るのが苦手な原因(統合失調症当事者が語るシリーズ)

こんにちは。
「土下座最中@困った家族たち」です。

今回は、私がお風呂に入るのが苦手な原因を書いていこうかと思います。
短い記事ですが、統合失調症当事者やその家族の参考になればと思います。


お風呂に入るには勇気がいる

こちらの記事でも書いたように、私はお風呂に入るのが苦手、というより怖いことだと思っています。
理由は記事でも書いた通り「盗撮の被害妄想」「身一つで何かあったらという不安」「漠然とした不安」と大きく3つほどに分類されます。

原因1:盗撮の被害妄想

盗撮の確信とそれが妄想と知るまで

盗撮に関する被害妄想は、高校の頃から病識を持つまでずっと確信的にありました。
高校や大学や商業施設の女子トイレから、下宿のアパートの部屋やトイレや風呂、ありとあらゆるところにカメラが仕込まれていると、見たことも無いのに絶対にあると確信していました。
私がもし途中で自分がおかしいと気が付かず病識がなければ、きっと今もどこからか常に盗撮されていると思い込んでいたと思います。

幸いなことに、自分で自分が統合失調症だと気が付いて大学の保健管理センターに駆け込んだため、今ではこれらは私の思い込み(被害妄想)だと考えるようになりました。
考えるようになりましたが、今もどこかで「今、盗撮されてないかな」と不安になる場面があります。

それがお風呂場です。

お風呂場が盗撮されているという被害妄想

盗撮の被害妄想の遍歴は今回は省略しますが、病気の症状がひどくなって思ったうちの一つが「私の部屋のお風呂、盗撮されてる!」でした。

脱衣所は盗撮されていると思わなかったのですが、なぜかお風呂場の湯船の上にある換気扇のところに盗撮のカメラが仕掛けてあると思い込んでいました。
なぜかというと病気の症状のせいなのですが、冷静に考えればありえないことなのです。
それをありえないと思えない、むしろ確信を持って「私、盗撮されてる!」と思うから病気(統合失調症)なのです。

今は病識もあって薬も飲んで、病気の症状の中に「盗撮されるという被害妄想」があるのを知っているので、なんとか落ち着けます。
しかし、病気に気づいていなかった頃、私は盗撮されていると思い込んでいたので、ありもしないカメラに向かって挑発したり、なんとか隠れてお風呂に入ろうとしたりと、本当に奇人変人の行動をとっていたなと思います。

今でも苦しむ盗撮の被害妄想

そして被害妄想とわかった今でもうっすらと残っているのが「お風呂の換気のために窓を開けたら盗撮される」という妄想です。

しかも、その盗撮相手は上にリンクした記事に書いてある通り、小中学校の同級生の男性だと思い込んでいます。
高校の時にあちらの提案でケータイのメールアドレスを交換してからというもの、メールのしつこさがハンパではなく、友人に相談したらあちらがストーカー扱いされていました。
その頃はケータイの番号も教えてくれとしつこくしつこくメールが来ていて、友人たちには絶対に番号は教えないようにと言われていました。

友人たち曰く「あいつ絶対、最中のこと好きだから」だそうです。
実際「オレ、彼氏できてん。どう、嫉妬した?(要約済み)」というメールがあちらから来ました。
私が何をどう嫉妬すると?とは思いました。
私からしたらそれくらい突飛な考え方をしていると思ったのです。
私は「周りの理解はなかなか得られないかもしれないけど、私は2人のこと応援してるからね(要約済み)」と返信しました。
LGBTQ+なんて言葉がなかった時代ですからね。
あちらは慌てて「違う、彼女!」とかなんとか送ってきましたが、私は彼に彼氏ができたことをひたすら祝福して、そのままあちらの連絡頻度が減り自然とやり取りは無くなりました。

実際のところが彼氏だったのか彼女だったのかはわかりませんが、その時の私のメールの態度を恨んでいたり、私のことをもし好きだったのなら恋人ができたと勘違いされたままフェードアウトしたことを未練がましく思っているのではないかと“私が“思ってしまうのです。

これがこの病気の厄介なところです。
過去に疾うに終わったことなのに、病気を発病する前後のことだからか、妙に引っかかってしまって未だに恨まれているのではないかと思ってしまう。
その腹いせに、私のことを盗撮して写真をばら撒くのではないかと思ってしまうのです。
あちらからしたら、逆恨み(?)も良いところですが、あの頃のメールが来ることの恐怖と言ったら。

その恐怖と被害妄想の「盗撮される」と思い込むのがリンクしてしまったようで、今でもお風呂場の片付けをするといった時に窓を開けるのは身構えてしまいます。
頭ではあり得ないことだと理解していても、感情が追いつきません。
いつもお風呂の窓を見ては、あの向こうでカメラを構えたあいつが待っていると思ってしまいます。

しかし、この妄想も少しずつ弱まってはきています。
妄想が弱まるのは、私は良い傾向にあると思っています。
そもそも15年以上前に連絡の途絶えた相手のことを考えるのがバカらしくなったのかもしれません。
ただ、妄想が弱まってはいても、よぎる不安が消えないのが苦しいところです。

原因2:身一つで何かあったらという不安

大規模震災の被災者という立場

私は幼いころに、大規模な震災の被災者となっています。
我が家は倒壊こそ免れたものの、街や家の中の惨状は今思い出しても恐ろしいです。
知り合いには家が倒壊して立て直した家族もいましたし、私の隣の家のおじいさんは震災で倒れてきた家具の下敷きになって亡くなったそうです。

私たち家族も、地震直後に着の身着のまま(かろうじて靴は履いたかもしれませんが)逃げ出しました。
真冬の寒い時期に、凍えそうになりながら屋外で近所の人たちと一塊になって夜を明かしたことを覚えています。
余震に警戒しながら、父親が何とか毛布を数枚家から取ってきたので、それにくるまりながら震えていました。

幼いころとはいえ、割と鮮明に覚えている記憶もあります。
例えば震災の直後、向かいのアパートのお兄ちゃんが、門扉がひしゃげて外に避難ができない私たち姉弟を抱きかかえて出してくれたこと。
例えば車を持っていた人がつけた車内のラジオで初めて「地震」という言葉を聞いたこと。
例えば幼稚園に行く道のマンションに赤い紙が貼られていたこと。
(熊本の震災で有名になりましたが、そのころから倒壊の危険性を示す張り紙というのはあったのです)

他にもさまざま記憶はありますが割愛して、とにかく恐ろしかったことはよく覚えています。
そんなこともあって、私の中では地震はかなり怖い自然災害です。

もし入浴中に地震が起きたら……

上述の通り、着の身着のままで逃げ出した過去から、大規模な地震は身支度の猶予など与えてくれず、その状態のままで飛び出さなければならないほど危険だと思っています。

そんな地震が入浴中に起きたら、私は裸のまま飛び出すことになります。
もしかしたらシャンプー中で目も開けられない状況かもしれません。
それこそ、以前と同じように真冬の凍てつく空気の中、びしょぬれで過ごすことになったら?

考えただけで、お風呂に入る勇気がなくなります。

入浴中に地震や火災が起きたらどうしようという不安は、誰しも抱いたことはあると思います。
それこそ被災経験がなくても、震災のニュースや被災地の様子などを繰り返し報道されているのを見ていれば、そんなことを思う時もあるでしょう。

しかし健常な人は、それが思い過ごしだと割り切ってお風呂に入れます。
心配性な人はハラハラしながら入るかもしれませんが、不安で日常生活の一部である入浴ができないこともないでしょう。
(もし読者の中で不安でお風呂に入れない方いらっしゃいましたら、メンタル面が心配なので近くの心療内科等に相談してみるのもありだと思います)

統合失調症の私は、その不安が強すぎてお風呂に入れないのです。

「午前中に入ろう。でももし今地震が来たら……。やっぱりお昼にしよう」
「お昼になった、お風呂入らなきゃ。でももし今地震が来たら……。やっぱり来ないのを確認して夕方から入ろう」
「夕方になっちゃった。お風呂いい加減入らないと……。でも今地震が来たら夕食時だし火事も起こるかも。やっぱり夜にしよう」
「夜になってしまった……。もし今から入って地震が来たら、真っ暗な中を素っ裸で逃げなきゃいけないし、怖いから明日にしよう」

考えていることを極端に要約するとこんな具合です。
こんなにはっきり文章で考えるというよりは「地震が来たらどうしよう」で思考停止して、お風呂場の前をウロウロ。
そしてずるずる先延ばしにする感じが近いかと思います。

とにかく地震が怖くて入れない!
そういうことなのです。

もし入浴中に強盗が襲ってきたら……

これもこちらの記事に書いてある妄想からの派生です。

お風呂に入るときはなぜか、人殺しではなく強盗だと思っていることが多いのですが、とにかく強盗に殺されたらと思うと怖くて入れません。

お風呂の水が流れる音とか、そういうものに邪魔されてお風呂の外の様子がわからないうちに、窓から強盗が侵入してきて家族を殺す。
そして、お風呂に入っている私に気づいて、刃物でメッタ刺し……。

ああ、考えただけで恐ろしい。
とにかく、そんなことを考え、お風呂に入るのを怖がるのです。

なぜか裸でお風呂にいても、辱められる方向には考えません。
とにかく刃物でメッタ刺し、これが私の恐れる妄想です。

リビングだったら廊下だったら、あるいはお風呂以外だったら、隙を見て逃げ出すこともできるでしょう。
しかし、お風呂場は窓が一つあるだけで、それも格子がはまっています。
しかも身を守るものが、布っ切れ一枚もないなんて、丸腰にもほどがあります。

同じようにトイレも窓一つで格子はあるのですが、トイレの特性で中から鍵がかけられるため、トイレはそんなに怖くありません。
トイレだったら、うまいことやり過ごせれば強盗に気づかれない可能性もありますし、鍵をかけて中からケータイで通報することもできます。

なんにせよ、逃げ場がなくて、身を守るものがなくて、刃物で襲われる。
これが私が持つ、もう一つのお風呂に入れない原因となる妄想です。

原因3:漠然とした不安

何か悪いことが起きるという妄想

これはもう、本当に健常者の方にはどう説明していいのかわからないのですが「とにかく何かが不安」という状態です。
最近になって、私のこの症状が「世界没落体験」というものに近いらしいと知りました。

お風呂場に入ったら、何か悪いことが起きる気がしてならない。
お風呂場に入ったとたんに、とんでもない不幸が私を襲う。
お風呂場が異次元の世界に見える。
お風呂場に入った途端、そこが世界と断絶される。
お風呂場に入ったら……

「とにかく何かが不安」でお風呂場にすら入れないのです。

健常者の方ならこういった体験はないかと思われますが、統合失調症当事者にはそういった不安を持つ人間もいるということです。
この辺の感覚が、健常者が理解できないものかと思います。

「お風呂場に入ったら何かが終わる」

この感覚に襲われたら、私の意思など無力なものです。

対処法

無理はしない

さて、見出しででかでかと対処法、などと書きましたが、私がしているのは、

一旦諦める!

これです。
これしかありません。

その場で入れないなら、薬なりなんなり飲んで、さっさとお風呂場から離れて寝てしまう。
あるいは「お風呂は入れなくてもいいや」と開き直って別のことをする。

そうやって気を紛らわせて、不安がどこかへ消えるのを待ちます。

「絶対に入らなきゃ」と思うと、それすらプレッシャーで「もし入れなかったらどうしよう」という不安に変わります。
プレッシャーは時に人を動かす原動力になりますが(もちろんプレッシャーのおかげでお風呂に入れたこともあります)精神疾患を抱えている人の大半は、プレッシャーに弱いものです。

私は家庭の都合で、好きな時にお風呂に入ることができず、あらかじめ「〇日の午前/午後にお風呂入りたい」と母親にお伺いを立ててから入る日程を決めています。
なのでその前日だったり、ひどいときは数日前から「入れなかったらどうしよう」という緊張でドキドキしています。
逆に入る日を決めていたのに、その日の朝になってからお風呂に入る予定だったことを思い出したりしたときなんかは、軽くパニックを起こします。

入りやすい環境

私が一番楽だろうなと思うのは、入りたいと思ったときにすぐ入れる環境が整っていることだと思います。

人に関しては、いる方が入りやすい人もいれば、いない方が入りやすい人もいるかもしれません。
私はどちらかというと、家族がいない(寝ているか外出している)方が入りやすいです。

「汗をかいたな、なんか気持ち悪いな」
「片付けとか掃除してほこりをかぶっちゃったな、洗い流したいな」
「明日出かける予定だな、その前に入りたいな」

そう思ったときにすぐにお風呂に入れる環境ならばどれほどいいだろうと思います。
我が家ではお風呂は沸かさず、全員シャワーのみで入浴をすますので、入ろうと思ったらいつだって入れるのです。
しかし、いろいろなしがらみがあって「今、入ろう」ができないのです。

好きな時にお風呂に入っていいのは父親だけ。
母親は私の見張りがあって気象条件が合うときのみ。
私は母親の予定の合間を縫って週1程度で入るのみ。

うん、根本的におかしい気がしてきた。

他の統合失調症当事者の方の環境がどうなっているのかはわかりません。
しかし、お風呂に入るだけでも当事者からしたら結構なプレッシャーです。
できるだけ勇気が湧いたり気が向いたときに、すぐ入れる準備があると、当事者としては助かるかな?という感じです。
実際、一人暮らしで好きな時に入浴できたころは、今よりもっと頻回にお風呂に入っていました。

家族の方は、その兼ね合いもあるでしょうし、お風呂をそのたびに沸かしたり追い炊きしたりも大変だとは思いますが、何卒タイミングを合わせてやってください、というのが当事者側としての私の気持ちです。
本当に面倒だとは思いますが、何卒ご理解賜りたく存じます。

また今回の記事も、あくまでも私の体験に基づいた記事ですので、全ての統合失調症当事者に当てはまることはないかと思います。
別のことが原因でお風呂に入れない統合失調症当事者の方もいるかと思われます。
しかし、中にはこのようなことを考えている当事者もいるんだよということを知っていただけたら幸いです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

もし、記事を読んで「サポートしてみようかな」と思ってくださった方、お気持ちだけでもとてもありがたいです。ありがとうございます。 サポートしていただけましたら、その費用は今後の執筆のための環境改善費用に充てたいと思っております。