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侍小説としての『女坂』(円地文子)

 円地文子の代表作『女坂』は、円地自身の近親者の実話を基にしている。現在の目から見れば、かなり異様で、まるで残酷な童話を読んでいるかのようである。

 明治初期大書記官として功成り名遂げた白川行友とその妻倫(とも)の愛憎劇と呼べるこの物語において、行友は二千円もの大金を倫に手渡して妾探しを命じ、さらには形式上はその妾お須賀を自分の養女として戸籍に登録して同居するに至る。このような異様な設定で物語は開始され語られてゆくのだが、円地はこの残酷な童話を「明治の女のひそひそ話」として書こうとしたという。なるほど三章構成の本作品の第一章は、下町浅草の猥雑な世界に通じた「きん」と「とし」という母と娘の視線を通して語られる。読者は商人の世界観に寄り添うようにして倫の姿を眺めることになる。そうした語りを背景に、読者がまず印象づけられるのは、下町商人の世界から浮き上がっているかのような倫の孤立した姿である。

 こう言うからといって、なにも倫が非社会的な無能な人間だというわけではない。白川家の内務処理(妾探しや孫の不行跡の後始末も含めて)から不動産管理まで、倫は、(明治維新前のごたごたで碌な教育を受けることができなかったとはいえ)、その一切を引き受け見事に切り盛りし、崩壊するかもしれない白川家の秩序を守り続ける非の打ちどころのないほど有能な人物である。にもかかわらず、倫には安息や幸福が約束されない。浅草の娘「きん」からは「私、奥さんとお嬢さんとお須賀さんと、一人ずつ可愛そうで、涙が出た・・・・」と同情されながらも、虐げられた弱者との真の連帯が演じられるわけでもない。

 タイトルでもある「女坂」を、倫は一人きりで登ってゆく。『女坂』が描かれる時代は、明治10年代から30年代、大正時代と、司馬遼太郎の『坂の上の雲』が描いた時代とほぼ重なるが、両者の間に通じあうものはほとんどない。『坂の上の雲』であれば、近代化を成功させ先進国と肩を並べるという明確な夢があり、そこには喜ばしい男同士の共同作業があった。そのような国家的栄光と自分がつながっていると感じられるような男の特権とは性質を異にする、みすぼらしいがそれなりに充足感のあるつつましやかな幸福が「女坂」を登りきった果てには見出されるのかといえば、そういうことでもない。

 第三章の終盤部、萎縮腎に犯され死期が迫った肉体に難儀しつつ住居へと続く長い坂を登りながら倫は次のような感慨に襲われる。「佇む度に目の前にある小さい家々のそれが仕舞屋だったり、八百屋だったり、荒物屋だったりしながら同じような杏子色の電灯の光は無限に明るく、総菜の匂いは何とも言えぬ濃やかな暖かさを嗅覚にうったえて来て、倫の心を揺ぶった。幸福が・・・・・調和のある小さい、可愛らしい幸福が必ずこの家々の狭い部屋の燭光の弱い電灯のもとにあるように倫には思われた」。それらの光景を見ながら倫は、「人工的な生き方の空しさ」に思いを致さずにはいられない。倫の生のスタイルに女性らしさというものは見いだせない。細川藩の下級武士の家に生まれた倫の内面は、「侍気質」というものに染め上げられてしまっている。明治期に、武士の価値観を内面化し、なおかつ「根は肉体の底から湧き出す本能の動きで自分を自然に動かして行かれぬ肌の女」である倫という人間には、(例えば性の悦楽において)張りつめた気持ちをゆるめて安らぐような環境はほとんどない。故郷の母親が信仰していた浄土真宗がわずかにその役割を果たしてくれるに過ぎない。

 新潮文庫版の解説を書いた江藤淳は、倫の「人工的な努力」に「制度を保持しようとするストイシズム」を見出している。倫という通常には女とは言えない侍気質の女に「ストイシズム」という言葉は妥当だと思えるが、倫のストイシズムは、福田恒存がエリオットを通して見出したものによく当てはまる。

 ストイシズムはアレクサンダー大王の東方諸国制服を背景として生まれたものである。閉じられた都市国家を経営し、排他的な中華思想に拠っていたギリシア文化に対して、野蛮人たちは、まず自己を正当化してかからねばならなかったのだ。ストイックたちは人間の平等を説き、ギリシア人と野蛮人、主人と奴隷、その他いっさいの階級的差別を否定した。が、その心底にあるものは、現実のすべてを自己にとって不利なものと見なし、自分の手で自分を守らねばならぬと観じた孤独者の不信である。かれには身かたはひとりもいない。ギリシア固有の神々はもちろん、歴史も支配階級も、いや、仲間すらあてにはならぬ。
(略)
 エリオットはストイシズムをそうきめつけている。たしかに、かれのいうとおり、ストイシズムは伝統的な生き方の破壊された混乱期に、「自分自身を励ますこと」を目的とする哲学だったのであり、自己を滅ぼそうとする優越者に抵抗して自己を肯定するための保身の術だったのである。
(略)
 サルトルが『嘔吐』のなかで女に語らせた生きかたは、完全にストイックのそれと一致する。女はすべてを膳だてし、すべてを自分で作らなければならない。だが、相手の男は協力しない。もともと協力の期待できぬ世界であればこそ、女はすべてを自分で作らねばならぬと観念したはずである。もし女が自己のストイシズムを貫こうと欲するならば、相手の非協力に堪えねばならぬ。

『人間・この劇的なるもの』

 倫のストイシズムは「禁欲的に食事制限をしている」といった長閑なものではない。「自己を滅ぼそうとする優越者に抵抗して自己を肯定するための保身の術」といった切羽詰まった生存スタイルである。「行友に負けてはならない」という倫の決意は異様な場所から生まれてくるものだ。「女坂」とはその異様な場所の別名である。

 その場所は倫に安眠を許さない。かつて、映画評論家の蓮實重彦は、「やくざ映画」の端正さを「生きたまま寝床に身を横たえることを何びとにも許さない環境」(「加藤泰の『日本侠花伝』」)から生まれるのだと説明したことがあったが、倫もまた、安眠から遠ざけられている。絶えず意識を覚醒させて、自分の身のまわりの世界を混乱に陥れないよう注視し続けることを選択した倫にとって、大地に立っていることが彼女の基本姿勢となっている。「家作や地面の管理一切を引き受けて月の中の半分は家を出ている倫にとって、足の丈夫だということがあらわす健康の意味は、夫の行友や妾の須賀との関係においても自分の内心を堅固に緊張させて置くためにも思いの外重要なのであった。行友と孫の鷹夫に吉彦、須賀、それに三人の女中という大家族の中にいて倫はいつも自分が他のものの世話を焼く立場に廻っている」。だから、倫にとっての「坂」とは、足の運動と意識の覚醒状態を確保するために必須の場所なのだともいえる。

 最終的には回復する見込みのない病によって「横臥」の姿勢を受け入れざるを得なくなるが、そうした局面においてさえも死んだ暁には「海へ私の身体を、ざんぶり捨てて下さい」と、倫は訴える。世界との曖昧な和解が拒否される最終部は、女の悲劇というよりは、やはり、侍の悲劇であろう。


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