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観察だってご自愛だ。

何かと焦ってばかりいる気がする。あれもしたい、これもしたい!と欲だらけの人間なもので、思う通りに動けないまま欲ばかりが積もっていくと、途端に調子が悪くなる。1番の解決策は動くことなのだけれど、それすらも今は億劫になり、負の連鎖に足を突っ込んでしまった。

ただ最近は開き直って、矢印の向きを内に向き切ることにした。一旦、外向きの「ずっと気になっているあそこにいきたい」「あれやってみたい」という願望は横に置いて、今このモヤモヤした気持ちの中にどんな欲望があるのか観察してみる。すると、私は今外には出たいけれど、できるだけ穏やかに自分と向き合える場所に行きたいのだと気づく。外向きの願望はいつしか義務になっていたようで、モヤモヤした状態で今の自分が行きたい場所は「気になっているあの場所」ではなかったとわかった。

少し気持ちが落ち込み気味なのは完全にPMSのせいであるけれど、自分なりのご自愛の仕方は「観察」なのだと思う。ご自愛というと、美味しいものを食べるとか、ゆっくり過ごすとかをイメージしていたけれど、「感情の観察」だってご自愛だ。それがわかってからは随分と楽になった。無理に元気にならなくていいのだと。

そういえば最近、何か悩みを相談したときにアドバイスをくれるよりも、「よし、それはどういうことか一緒に観察してみよう」と言ってくれる人が好きだと思った(出会ったことはあっただろうか)。「きく」には「聞く」「聴く」「訊く」があると話をしてくれた方がいたけれど、私はその中でも「訊く(たずねる)」が大切らしい。いい観察にはいい問いがつきものだから。

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