ヤ○ザやさんに囲まれた日々
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これは親から聞いた僕の『単なる思い出』話である。
父は佐賀の人、母は熊本の人、
そして福岡で結婚した2人の間に生まれた僕は福岡の警固で生まれた。
ホームシックにかかった母のために乳児くらいで熊本に引っ越し。そんなこんなを理由に転職しちゃう親父もなかなかやなと。
いま僕が44歳なので40年以上も昔の話。
裕福ではない、安い2階建のアパート。
なんとなく覚えている。
当時からボロくて、田んぼに面しており、少し向こうに大きなお屋敷が見える。
Googleマップでみてみると、アパートはまだある!
だけど周りは変わっていて田んぼはなくなり住宅街に。
お屋敷もなくなったみたいだ。
ほんとに、最近聞いたのだが、
僕らドイ家以外のアパート住民は、いわゆるヤクザの『若い衆』とその家族が住んでいたそうだ。
びっくりだ。
そしてご想像のとおり、少し向こうに見えていたお屋敷は親分のお家だ。
僕はよく遊びに行っていたそうだ。
親父は今は言わないけど、
僕が小さい頃は『ヤクザ屋さん』と言っていた。もちろん意味はわからなかった。
「屋さん」ってつけないよね。
たぶん、小さな僕に対する気づかいだろうな。
親父はもちろんカタギだし、会社員でたまたま住んだアパートがそうだっただけだ。
昔なので親父からすれば単にご近所付き合いだったのかも知れない。
(よくいろんなことに巻き込まれなかったな)
そして数年せずに佐賀へ引っ越し。
僕は清く正しく育ちました(自称)
だけど、今のような暴力団という感じではなく
街の親分さんとその子分さんらという感じ。
良い悪いはわからない。
たぶん、よくはないんだろう。
顔も名前も覚えていない。
たぶんそれでいいのだろう。
昭和の『そういう風景』がそこにはあったのだろうと思う。
いまではあり得ない事だけど、
僕の幼少期はそんな人たちに囲まれて育ったようだ。
そうなると、今の生活でさえ20年後くらいにはあり得ないって言われるかも知れないし、
平成の話だってすでに昔の話として認知されている。もう令和になって何年だ(老)
この40年で昭和から平成ガッツリ生き抜いて令和に戸惑いを感じるのが僕ら40代です。
平成どこいった。いつのまにか終わったな。
だから僕らは平成JUMPって!?ウルセェな。
(これ言うと思った人は感性がこちら側だから気をつけてね)
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