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「光について」で霰粒腫を思い出した

 音楽の知識はだいたいミュージックスクエアで得るという十代を過ごしたので、Twitterのタイムラインに流れてきたラブレターズ塚本さんのnoteが刺さりまくってコメントつけてリツイートしたらご本人に引用リツイートしてもらっちゃって、さらにそれが中村貴子さんにまで届いてあの頃たくさんの音楽を教えてくれたことへの感謝を直接伝えられるなんて、インターネットは油断できません。突然こういう機会をくれたりする。
 補足。ミュージックスクエアというのはNHK-FMで放送されていた音楽番組で、中村貴子さんはそのパーソナリティだった方。ラブレターズはとても面白いコント師で、塚本さんはそのコンビの坊主頭のほうです。補足おわり。刺さりまくったnoteはこちらです ↓

 そんな故あって中村貴子さんのTwitterをフォローしまして、それが5月9日の夜のこと、中村さんはネット上でもあの頃と変わらず音楽の情報を届けてくれていて、おかげで先日、しびれるライブを視聴することができました。
 GRAPEVINEが1999年のアルバム『Lifetime』を2014年に再現したライブの映像。一夜限りのYouTube配信でした。
 その中の一曲、『光について』について書こうと思います。照明の演出が、素晴らしかった。何年か前に観たライブ映像も同じコンセプトのライトワークだったので、この曲を演奏するときの定番なのかもしれません。ずっと薄暗いのです。カメラが寄っても顔が分からないくらい暗い。前奏からずっと、歌が始まってもサビになっても2番に入って2回目のサビを迎えても終始暗くて、『光について』なのに光がない。

少しはこの場所に慣れた
余計なものまで手に入れた

 という歌詞から始まるこの曲を初めて聴いたのは高校生の頃。それから受験して大学生になって就職して社会人になったけれど脚本家になりたいと言って4か月で会社を辞めてアルバイト生活を始めて2年目くらいの時期に、霰粒腫ができました。目のところから排出されるべきものが出ずに詰まって瞼が腫れるやつです(いわゆる「ものもらい」は麦粒腫で、細菌が入ってなるやつなので霰粒腫は逆ver.ですね)。そのちょっと前には蕁麻疹が出たりもしました。どちらも発症の原因のひとつにストレスが挙げられています。確かにあの頃はずっと薄暗かった。
 脚本家に、たぶんなれるだろうという根拠の無い自信は持っていたけれど、じゃあそれがいつなのか、1年後か10年後か見当もつかず、50年後だったらどうしよう。

 照明は暗いまま2番が過ぎてギターソロ。やはり明るくなりません。音に集中せよとのメッセージなのだろうか。あるいは音楽に光を感じろということなのか。

 光なんて見えやしない。同級生たちは真っ当に働いているのに、自分だけこのままずっとアルバイト生活が続いて、夏場は蚊の多いこの1Kの部屋から抜け出せず、脚本家になるより先にハゲたとき、それでもまだ根拠の無い自信を持っていたとして、鏡を見ても揺るがずにいられるだろうか。

 ギターソロが終わり3度目のサビを迎えても、一向に明るくなりません。ライブの中の一曲です。一曲くらい、暗いままで終わる、そんな演出があってもいいか。同い年の若者の中に一人くらい、夢を追って叶わずそのまま死ぬ奴がいてもいいか。
 歌はもう終わる。歌詞の最後の一行。

僕らはまだここにあるさ

 その瞬間に突然、ライトがステージを照らしました。
 かっこ良すぎて笑ってしまう。
 
 私はというと、蕁麻疹は治まり霰粒腫は手術してその2年半後くらいに、突如として運良く脚本家になれました。順調な時期と全然仕事がない時期を繰り返し、テレビドラマをいくつか書いて、10年経ちました。
 当時は歌詞の意味を理解できてなくて、というかあまり気にしてなくて、曲のかっこよさと歌声の切なさにただただやられていたのですが、この歳になって改めて聴くと、自分がやってきたことや今いる場所を全部丸ごと肯定、とまでは言わずとも、不満や不安も含めてまだまだここからだよみたいな、そんな光が射し込んでくる歌だと思いました。

 それにしても、脚本を書くことに関しては「少しはこの場所に慣れた」なんて気もしているけれど、文章を書く技術は低いな。いつの日か憧れのエッセイ連載仕事を手に入れるために、練習としてのnoteだったりします。

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