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『たいへんもいじーちゃん』からジャンボエンチョーを思い出した

 先月、生まれたての赤ちゃんの写真がLINEで送られてきました。また一人、友人が母になった。めでたい。うちにはまだ子供がいないけれど、同級生はどんどん母や父になり、SNSに娘や息子を上げていて、正月か法事で数年に一度会うか会わないかの親戚の子よりよほど、友の子の成長を見守っています。

 子供はたいがい、おぼつかなくて面白い。そして面白さがうらやましい。

 どこを見ているのか分からない、すぐにおかしな姿勢になる、言葉の扱い方も定まっていない、これらを面白いと思った最初はなんだろうと記憶を辿った結果、自分もまだ小学生だった頃に読んだ『たいへんもいじーちゃん』という漫画が思い当たりました。とても好きな漫画です。
 登場人物は「もいじーちゃん」という女の子と、あとは声だけの(体は時々出てくるけど顔は描かれない)お母さんと、同じく声だけのお父さんもたまに。一話につき見開き2ページ、同じ大きさの正方形40コマで描かれるのは、もいじーちゃんの日常です。ちょっとした出来事が、たぶん3、4歳くらいのもいじーちゃんとってはタイトル通り「たいへん」で、それが微笑ましくて、面白い。
 この漫画は当時、モスバーガーに置いてあったフリーペーパー『モスモス』で連載されていて、実家の近所のモスバーガーの隣にはサーティワンアイスクリームが並んでいて、その2店はホームセンター「ジャンボエンチョー」の中にありました。
 オニオンフライの美味しさも、キャラメルリボンという存在も、幼い子供の面白さも、ジャンボエンチョーで知ったのでした。
 
 ジャンボエンチョーでは時折、子供向けの工作体験みたいなのが催されていて、図工が好きだった私は親に連れられてよく参加していました。
 ある日、張り子のお面に色を塗る教室があり、トーテムポールの下のほうにありそうな形の顔をカラフルに塗って、それなりの満足感と達成感を胸に絵の具を乾かす台へと持って行ったところで、とあるお面に釘付けになりました。
 目、鼻、口とパーツごと左右対称に塗り分けた自分のとは全然違う、おそらく子供の(といっても自分も子供だったけど、もっと学年が下の、あるいは未就学児の)手によるものと思われるその作品は、顔であることなんか無視したような左右非対称の配色で、絵の具を混ぜまくって全体的に鈍い色なのだけど、工場の地面にこぼれたどす黒いオイルに光が当たって虹色に見えたときみたいにところどころ鮮やかに映えていて、ちょっともう別次元の面白さでした。自信満々意気揚々と筆を置いた自分がみじめで、子供のつたなさ面白さがうらやましかった。

 この経験を機に、図工は諦めて二番目に得意だった国語を頑張って、いま私は脚本家になっています。というのは嘘です。中一くらいまで漫画家になりたかったし、国語はたいして頑張ってません(というか学校の勉強全般頑張ってない)。それでも脚本家になれました。
 子供の未熟さにはたしかに敵わない瞬間もあるけれど、でも、もいじーちゃんは漫画で、それもエッセイ漫画ではなく大人が(『ぼのぼの』のいがらしみきお先生が)創作した作品で、しかも連載開始当初、作者はまだ父親になってなかったらしいし、自分にもきっと作れるはず。と思います。
 子供が主人公の話、いつか書きたい。

 ちなみにもいじーちゃんの中では、ガムはむずかしいと怯える回、グレープフルーツはくやしいと憤る回、すぐ寝ちゃう回がイチオシです。3つだからサンオシか。

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