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(加筆修正)エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」第4回ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン来日公演1985年 &   ペーター・ダム ホルン・リサイタル1983年


エッセイ

「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」

第4回

《ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン来日公演1985年

ペーター・ダム ホルン・リサイタル1983年》

招聘:ジャパン・アーツ



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⒈   ヘルベルト・ブロムシュテット指揮  シュターツカペレ・ドレスデン来日公演1985年


プログラム


ヘンデル ハープ協奏曲変ロ長調
独奏 ユッタ・ツォフ(シュターツカペレ・ドレスデン ソロハープ奏者)
モーツアルト 交響曲第39番変ホ長調

同 歌劇「フィガロの結婚」序曲

同 ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調
独奏 ローラント・シュトラウマー(シュターツカペレ・ドレスデン 第1コンサートマスター)
ベートーヴェン 交響曲第5番ハ短調「運命」

同 ピアノ協奏曲第5番変ホ長調「皇帝」
独奏 ミハイル・プレトニョフ(ピアノ)

メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲ホ短調
独奏 ローラント・シュトラウマー(シュターツカペレ・ドレスデン 第1コンサートマスター)
ブラームス 交響曲第1番ハ短調

ブルックナー 交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」

R.シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」


公演スケジュール

1985年
10月29日 武蔵野市民会館
30日 昭和女子大学人見記念講堂
31日 浜松市民会館
11月1日 尼崎 アルカイックホール
2日 埼玉会館
3日 厚木市文化会館
5日 郡山市民文化センター
6日 山形県県民会館
8日 群馬県民会館
9日 市川市文化会館
10日 神奈川県民ホール
11日 富山市公会堂
13日 鹿児島県文化センター
15日 名古屋市民会館

17日 大阪 ザ・シンフォニーホール
R.シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」
モーツアルト 交響曲第39番変ホ長調
ブルックナー 交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」

18日 昭和女子大学人見記念講堂
19日 聖徳学園川並記念講堂



シュターツカペレ・ドレスデンについては、このコンサートに行く前からFMで愛聴していた。まず、ブロムシュテット指揮のブルックナー交響曲第4番をFMでエアチェックして、繰り返し聴いていた。この演奏が、ブルックナーの初体験だったのだ。それまで、ブルックナーという作曲家の曲を一度も、そればかりか名前も一度も聞いたことがなく、いきなり4番の冒頭のホルン・ソロを聴いたので、一撃で参ってしまったのだ。
それというのも、筆者は高校生のとき、吹奏楽部でホルンを吹いていた。ラジオでホルンのソロパートを聴いては、耳でコピーして真似して吹いていたような高校生が、あのソロをいきなり、それも名手・ペーター・ダムの演奏で聴いたのだから、一発でファンになるのも無理はないとわかるだろう。
ちなみに、本稿の後半で書くが、このペーター・ダムの演奏は先に生演奏で聴いていた。1983年に、ダムは大阪のザ・シンフォニーホールでリサイタルを開いた。筆者は、吹奏楽部のホルンの部員達と一緒に聴きに行った。その時の印象は、すごい!の一言だった。
けれど、今回改めてダムが吹くブルックナーのソロを、オーケストラ演奏の一部として聴くと、その演奏の凄みを一段と強く感じた。というより、音色の柔らかさと強さに仰天した。それまで、ホルンの音色というのがこれほど幅広く、深い響きだと知らなかったのだ。

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⒉   シュターツカペレ・ドレスデンについて


シュターツカペレ・ドレスデンは、82年から若杉弘が常任指揮者をしていることもあり、日本で特に人気の高い楽団だった。ドレスデンは当時の東独の古都であり、第2次大戦中のドレスデン空襲もよく知られていた。楽団の本拠地である国立歌劇場は、この空襲で破壊されていたのだが、85年に復元が完成し再開場したのだった。


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この楽団の名称は2種類あって、全部漢字で書くと「国立歌劇場管弦楽団」となるのだが、ドイツでの名称をそのままカタカナにした「シュターツカペレ」と書かれる場合もある。ちなみに、どういうわけかドレスデンの楽団は「シュターツカペレ・ドレスデン」と書くのに、ベルリンのそれは「ベルリン・シュターツカペレ」と、順序が逆なのだ。どうでもいいことだが、気になる。



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このシュターツカペレ・ドレスデンは、75年からブロムシュテットが音楽監督で、この時の来日公演も、ブロムシュテットが全公演を指揮した。
当時のブロムシュテットといえば、デンオンPCM録音シリーズのCDでR.シュトラウス交響詩『英雄の生涯』が発売され、音響の良さで話題をさらっていた。しかし、指揮者としては中堅、ドイツの作曲家の代表的な作品をいくつか録音していて、堅実な、あるいは地味な指揮者という印象が強かった。そういう指揮者だからこそ、ブルックナーの交響曲が似合ったともいえる。


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筆者も、特にブロムシュテットが贔屓だったわけではない。たまたま最初に聴いたブルックナーがこの指揮者の演奏だったのだが、それが実に優れた演奏だったというわけだ。そんなわけで、この演奏会で、生演奏で聴いたブルックナー交響曲第4番、正直、演奏そのものの印象があまり残っていない。それよりも、ただただ、オケの音の美しさに打ちのめされていた。
オーケストラの音色にこれほどの差があるということを、筆者はこの時改めて実感した。それまで生演奏で聴いた外来オケは、ロンドン交響楽団、ニューヨーク・フィル、バイエルン放送交響楽団、モントリオール交響楽団、チェコ・フィルの5つだったが、単純に比較するわけにはいかない。会場の音響の差が大きいからだ。

旧・大阪フェスティバルホールは良いホールだったが、如何せん、クラシック専用のザ・シンフォニーホールとは比べるべくもない。また、ニューヨーク・フィルを聴いたのは、よりによってイベントホールである大阪城ホールだから、まるで問題外だ。ザ・シンフォニーホールで初めて聴いた外来オケは、85年のチェコ・フィルだったが、これについては次回に書く。当時、日本で最初のクラシック専用ホールとして音響の良さを誇っていたザ・シンフォニーホールでは、それまでに大阪フィルや京都市交響楽団も聴いたことがあった。それら日本のオケと比較すると、このホールで聴いたドレスデンの音色は段違いだった。公演パンフレットでも「いぶし銀の響き」と表現しているが、筆者にとっては、いぶし銀どころか、まるで色とりどりの絵の具、虹、きらびやかなシャンデリア、という印象だった。
もともと、シュターツカペレ・ドレスデンの音色は、古くは1548年に遡り、ウェーバー、ワーグナーも楽長だったという、まさにドイツの音楽文化の元祖というべき楽団にふさわしく、重厚でいかにもドイツ音楽の分厚い響きが特徴だったようだ。
しかし、ブロムシュテットの指揮で聴くこのオケは、曲目がモーツァルトとブルックナーだったせいもあるだろうが、ぶ厚く重厚というよりは風通しがよく、よくハモる心地よい音色だった。
これはブロムシュテットの音作りがそうだったのか、あるいは常任指揮者の若杉弘の求める音色の影響もあるのかもしれない。特にブルックナーにおいては、その後聴いたウィーン・フィルやベルリン・フィルの重厚な演奏とは違って、実にすっきりと見通しのいい、肌触りのいい響きで音楽が作られていた。
この時の演奏で、筆者はただひたすら、ペーター・ダム率いるホルン・セクションの多彩で豪華な響きに浸りきっていた。
演奏会後に、シンフォニーホール裏手の楽屋口で出待ちをしたのだが、それはブロムシュテット目当てではなく、ペーター・ダムのサインが欲しかったからだった。
粘った甲斐あって、サインをもらったのだが、その際に思わず日本語で「とても良かったです!」と言うと、ダムはニッコリして「アリガト」と答えてくれた。


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⒊   ペーター・ダム ホルン協奏曲の夕 1983年


さて、次に、このドレスデン来日公演から遡ること2年前の、ペーター・ダムのリサイタルに触れていきたい。


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ペーター・ダム ホルン協奏曲の夕
1983年11月24日
ザ・シンフォニーホール

ホルン ペーター・ダム
モーツアルト室内管弦楽団
門良一 指揮

曲目
モーツアルト 交響曲第24番変ロ長調
ホルン協奏曲第1番ニ長調
同 第3番変ホ長調
同 交響曲第35番ニ長調「ハフナー」
R. シュトラウス ホルン協奏曲第1番変ホ長調


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