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土居豊の文芸批評・アニメ編 映画評『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』(期間限定、無料公開中)

土居豊の文芸批評・アニメ編 映画評『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』

(期間限定、無料公開中)

(ネタバレします。まだ鑑賞していない方はご注意ください)



(1)ガンダムの半世紀近い歴史を、背負って立つ心意気

本作は、前にも書いたように、「ガンダムSEED」と「ガンダムSEEDデスティニー」の両方を観てきた人は絶対に観るべき映画だ。テレビ全100話の長いシリーズの、それぞれの愛の形を描き分けてみせた最終回だった。
主役の2人の男女、キラとラクスの全裸?のキスで幕を閉じるラストシーンは、全編のテーマを見事に集約していた。
本作の見どころは、それぞれのキャラの生き様と、モビルスーツたちの格闘、アクションの様式美にあるともいえる。その点では「ガンダム」シリーズの根本が、ロボットアニメの進化形だということをあらためて思い出させた。
主役の1人、アスランの操るモビルスーツ・ズゴックの、立ち上がる姿勢とポーズと妙な残像の付け方、それは「ガンダム」第1作、シャア・アズナブルの赤いズゴックのポーズをそのままコピーしたものだ。本来、直接つながらない本作の世界と、オリジナルの富野由悠季ガンダムとを、モビルスーツのオマージュであえて接続させる。まるで、初代ガンダムからの半世紀近い歴史を、背負って立つ心意気のように思えた。



(2)コズミック・イラの未来はあるか?

本作の結末は、実のところ問題は何も解決していない。アコードという上位人種?の遺伝子操作人類たちは、結末で滅びたようだが、その戦いの結果、核ミサイルで人類市民は多数虐殺され、ナチュラル人類の軍も、コーディネーター人類のザフト軍も多くの犠牲が出ている。人々の恨みつらみは、アコードたちが滅びてめでたしとはいかないだろう。こののち、再び戦火が起きて、ますます悲劇が増えることも十分予想される。
しかしそれでも、最終的に巨大な力を手にしたキラとその組織コンパスは、これからも戦乱をうまく抑えていくのだろう。その別働隊としてのアスランと、仕事上のパートナー?であるメイリンも活躍していくだろう。
だが、ナチュラル人類もコーディネーター人類も争いをやめない未来は、はたして明るいといえるだろうか?
さらにもう一つ、重要な論点が見過ごされている。テレビの「ガンダムseed」シリーズでチラリと指摘されていた、コーディネーター人類の少子化問題だ。次の世代をつくるのが難しい人種ということになると、はたしてプラント国家(スペースコロニー)の遺伝子操作人類・コーディネーターに未来はあるのだろうか?
だからといって、地球上に住むナチュラル人類にも、環境問題などが山積で、未来があると思えないところが本作のガンダム世界(コズミック・イラ)の悩ましいところなのだ。それでも、コーディネーターを作り出した人類の科学力が、いずれは少子化問題も解決できる、ということだろうか。
しかし、そのためには、テレビシリーズでの黒幕だったコーディネーターのリーダー・デュランダルが提唱した、「ディスティニープラン」(遺伝子操作で全人類を管理統制する仕組み)が、結局は必要になってしまうのではなかろうか?
ナチュラルもコーディネーターも共に救おうとするキラだが、もし恋人ラクスとの間に子孫が生まれないことになったとしたら、どうするだろう? 自分の子孫を残すためには、代理母などの選択肢はあるのだろうか?
こんなリアルな考察をしすぎると、ガンダム映画を素直に楽しめなくなってしまうので、あえて深掘りしてはいけないかもしれない。けれど、本作のテーマが愛であるなら、そこはどうしても避けて通れないと思うのだ。




(3)キャラクターたち

以下、主役級のキャラたちについてもう少し語る。

1)シン・アスカ


前作の主役級の少年兵士シンは、本作でようやく悩み多い青春から卒業して、大人びた風貌を備え始め、戦闘ではますます頼もしさを発揮する。直情的なのは相変わらずだが、彼はどこまでもまっすぐで、一度信じたら裏切らない強さを持つ。
最もピンチの時、落ち込んで愚痴るキラを、親友アスランが殴って気合いを入れようとした格闘の時も、シンは自分の信頼する隊長キラをかばって、とっさにアスランに向かっていく。一度心を許したキラ隊長にどこまでも忠実なシンは、兵士、軍人に向いている性質なのだろう。
シンのエピソードでもう一ついうと、細かいところだが、罠に落ちた後、救出してくれた「あねさん」のコクピットで、核爆発を目の当たりにして思わず彼女のおっぱいをつかんでしまうのには、爆笑した。これは、テレビ版「ディステニー」第1話の、敵の少女ステラとのラッキースケベを思い出させる。どこまでも奥手な坊やであるシンが、微笑ましい。ファウンデーション訪問の夜、部屋に恋人ルナマリアを残したまま一人きりでいるあたり、相変わらずの朴念仁ぶりでもある。





2)アスランとメイリン


本作と、前段階のテレビ版の間に、「フリーダム強奪事件」というエピソードがあったらしい。そこでファウンデーションとコンパスの関わりができているということだ。そのあたりに、本作の設定でよくわからない部分が描かれているはずだ。ぜひ、この事件も映像化してほしい。そうでないと、コンパスと別行動をとっているアスランとメイリンの動きがよくわからない。この2人はなぜコンパスではなく、別動隊になったのだろう? アスランの乗るズゴック(と、インフィニットジャスティスガンダム弐式)は、どこで用意されたものか? メイリンの操縦する母船はどこから来た? この2人の所属は、コンパスの子会社のようなものだろうか?
また、本作で多くのファンから疑問の声が出ている問題、つまりメイリンとルナマリアの姉妹が、本作では一言も話さないことも謎だ。前段階のテレビ版最終話のラストシーンでは仲直りしているようなのに、映画ではなぜ姉妹らしい交流がないのだろう?
そもそも、メイリンはなぜアスランとチームを組んで活動しているのか? ぴったり息の合った行動や戦い方からは、まるで2人が脱出行以来、ずっと一緒にいたような感じを受ける。しかし、アスランはカガリをずっと思っていることを、ラストシーンでの、お互いのペンダントの見せっこではっきり印象づける。それでは、アスランにとってのメイリンは、あくまで仕事の部下なのか? メイリンにとってアスランは信頼する上司なのか? この2人の関係はどうも納得がいくような、いかないような、ちょっともやもやしたものを残した。
メイリンは元の性格からして、1人の男性に長く尽くすというよりは、恋多き女のイメージもある。だから一時アスランと激しい恋をしたのち、男女の仲としては別れて、現在は割り切った仕事上の関係に落ち着いた、ということなのかもしれない。




3)カガリ


アスランとくれば、カガリに触れないわけにいかないが、テレビシリーズ、特にデスティニーにおいてカガリのキャラは迷走していたと思う。どうもそのあたりで、私はカガリというキャラがわからなくなってしまった。本作でのカガリは、ほぼ、SEEDの段階に戻ったようにみえるのだが、あのままカガリという女性がアスランと相思相愛で、遠距離?恋愛を続けて、いずれは結ばれる、ということがはたして実現するかどうか?いささか疑問だ。それはつまり、アスランというキャラが、オーブのリーダーの伴侶になる意志を貫けるかどうか?にかかっている。カガリに関しては、彼女はSEEDから一貫して父親の後継者として国を背負う意志に揺らぎはない。だから、このカップルの未来は、アスランにかかっているといえるだろう。彼は本当にそれでいいのだろうか? メイリンとのコンビで自由に生きていく方が、彼にとっては幸せではなかろうか?とも思うのだ。もっとも、メイリンの方は、優秀で魅力的で若い女性として、いつまでもアスランに尽くすとは限らないのだが。



(4)やっぱり、最後は愛?


唯一、本作の弱点は、女性パイロット・アグネスのキャラだ。この女戦士の描き方は、あまりに浅すぎる。あの人格の破綻ぶりでは、「月光のワルキューレ」などと異名がついて、敵にも知られるほどの戦士でいられるものだろうか? しかも、言動が完全にサークルクラッシャーなので、軍組織でうまくやっていけるとは到底思えない。
あのキャラは、むしろコーディネーター人類の不完全性を証明してしまっている。あるいは、そのためにあえて人格破綻者として登場したというのなら、話はわかるのだが。
総じて、コーディネーターは恋愛下手に思える。さらに、上位人類であるはずのアコードときたら、全くお子様の恋愛ごっこしかやれないメンタリティのようなのだ。
その点では、テレビシリーズを通じてみても、ナチュラル人類の方がやはり感情面で長けているのだろう。その典型が、一時惹かれ合っていたナチュラルの少女ミリアリアとコーディネーター戦士のディアッカのカップルだ。ミシアリアがディアッカをさっさと振ってしまうあたり、恋愛ではコーディネーターは、ナチュラルにかなわないらしい。
この物語でやはり不安なのは、コーディネーター同士の理想のカップルであるはずのキラとラクスが、恋愛模様としては、なんとも幼いつながり方しかできていないところだ。コーディネーター人類、この先、ちゃんと愛を育むことができるのだろうか? しかし、それはもう、別の物語である。





※参考記事
映画「ガンダムSEED フリーダム」初見の感想


https://ameblo.jp/takashihara/entry-12839061573.html

今、あえて書くSEED DESTINY論
土居豊の文芸批評・アニメ編『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』は21世紀の混迷を先取りしたアニメ


https://note.com/doiyutaka/n/n635eacda21a8



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土居豊の文芸批評その1
村上春樹『街とその不確かな壁』のオリジナル版と新作 1
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(続き)村上春樹『街とその不確かな壁』のオリジナル版と新作 2
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村上春樹『街とその不確かな壁』の彼女の正体は?
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村上春樹『街とその不確かな壁』のオリジナル版中編「街と、その不確かな壁」を読んで、「街」のモデルを特定した!
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土居豊の文芸批評その4
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