三散花自家中毒 ~オンライン短歌市出店ネプリ評鼎談~ 短歌編

はじめに

※ この記事は、去る2月21日に開催されたオンライン短歌市に際し制作したネットプリント『同人三散花の紙』について、せっかくだし三人で互いに評するやつでもやる?あーね。やる~。となった結果のゆるゆるとした誰得な会話をまとめたものです。お手元に『同人三散花の紙』をご用意の上ご覧ください。なおプリント可能な期間は過ぎてしまいましたが、より多くの方々に読んでいただくためにPDFファイルもご用意しました。期間中プリントするまでに至らなかった方も、よろしければこれを機会にご覧ください。

同人三散花メンバー
宗谷燃/.原井/飴町ゆゆき

《.原井の作》


飴町:はいどうも。えーと原井さんの歌は

すこしぐらいやさしい人になりたくてたまごボーロを貪っている

が良かったかな。じわじわきた。
 主体が自身の危うさを自覚しながら、少しでもそこから逃れる手立てとして選んだのが子供菓子のたまごボーロなわけだけど、あの繊細でやさしい味のものをも結果貪ってしまうことで、余計に精神状態のヤバさが際立ってるというね。情景が想像しやすい。手に取った当初はもしかしたら一粒一粒食べたのかもしれないけど、そんな悠長なことしてられなくて、ついには手の平一杯にボーロを乗せてムチャムチャと粉をまき散らしながら食べているような……いやでもあれ気持ちいいんすよ。
 え? いややったことあるんで。あれこれわたしが危うい奴ってことになってきたな。うるせえよ。いいだろうがよ。
 あとはやさしい字面からの貪る!で視覚的にも変化を狙ってて非常にはらいさんらしい技巧的な歌でした。
 はーなんか久しぶりに評とかしたわ。
 じゃあ次、ねん。

宗谷:どうもどうも。辛いときにたまごボーロを貪るのはあるあるなのですか?
ねんはやっぱり最後の

食物は連鎖しないと嘘だからその日が来たら鳥葬がいい

に衝撃を受けました。穏やかで、どことなくコミカルな日常の4首を経て急に最後にこれが来て、驚いた人多いんじゃないかな。自分のことを大きな連鎖の流れにいると当たり前のように認識していて、そして最期の時には自分もまた他のものに食べられることを当然だと受け入れられているんだろうな。前述のたまごボーロの歌からも垣間見えるけどどことなく危うい感じ。軽い感じで最期の日のことをこういう風に口に出せるのは、生のすぐ隣に死があるという普通のことをどこまでも当たり前に過不足なく受け入れていて、明日世界が終わるらしいよって言っても特に驚かなさそう。達観というより諦観かな。自分のことなのになんか一歩引いた、諦めた感じがはらいさんらしいなと思いました。我々人間は食物連鎖の頂点に立っている(と思っている)けれどそんなものはその日が来たらいとも簡単に崩れて、生前どれだけ立派でもどれだけクズでも皆等しくただの食糧に成り下がるんだろう。でも鳥葬は痛そう(韻)。
 この間たまたま樹木葬のドキュメンタリーを見ていて、わたしもその時が来たら樹木葬がいいかな。って言ったら一緒に見ていた恋人に「いいね。蓼とかどう?」って言われて喧嘩になりました。馬鹿にしやがって。以上です。

原井:つらいときにするかどうかはともかく、ボーロとか、ああいう小さいのがたくさんある食べ物、途中でめんどくさくなって手のひら単位で食べちゃわない?
 たまごボーロを使おう、から出発して作った歌でした。視覚効果もねらったのは、ゆゆきちの指摘どおり。
 鳥葬の歌は、「食物連鎖」はじまりだったかな。上の句ができて、すぐに鳥葬ってキーワードも思いついたけど、下の句がきれいに収まらなくて、いったん放置している間にコンポタの歌とたまごボーロの歌を作った気がする。
 そもそも「5首連作」というよりは「思いついた「食」の短歌を5首」のつもりだったので、まぁ並べる順番は多少考えたんだけど、タイトルがいちばん悩んだかもw
 だから、僕の中ではそれぞれ主体は連続していなくて、でも、並べてみると雰囲気は暗いよね。主体がめそめそしてたり、ねんの言うように諦観がある歌が多い。
 作者からはこんなもんです。

宗谷:原井さん自身が気に入ってるのはある?

原井:たまごボーロと、あずきバー。
 あずきバー→固い→凶器になりうる、という実に単純な発送。おバカな歌がおバカに仕上がると、うれしい。

飴町:これは見た瞬間「次回、城之内死す!」だろとオタクスマイルがでました

宗谷:原井さんって明るいのも暗いのも原井さんっぽいよね。これってみんなそうなのかな?(偏差値2のコメント)

原井:わかる人が読めば、やっぱり作風はあるんじゃないかな

飴町:なんだろうね。でもはらいさんの作歌は基本的に言葉遊びと連想ゲームなんじゃないかと思ってる。いつだったかの主体論争みたいなこともあったけど、基本的にあなた特に込めたいメッセージとか伝えたい情景とか無いでしょ。人と場合により評価は分かれるけど、一口に言えば軽妙なんだよね。
 そこらへんの、恭順でも反骨でもない、遊びなんだから遊ぼうぜとでもいうような飄々とした態度が、結果として一見バラバラに見える主体にも作風という形で通底しているのかもよ。

原井:(伝えたいとか)ないない。定型にのせて生成された意味が面白ければ、ってスタンス。
 だから、ふたりと組んでこうやって作品を並べると、あらためて、「あー、自分に随筆的な短歌は作れない(作ろうという気にならない)なー」って思ったもん。

宗谷:飄々としてるってのがピッタリくるわね。わたしとゆゆきちゃんが重いぶんいいかもしれんね。

飴町:人の私生活をブラックホールみたいに言うんじゃないよ。


《飴町の作》


宗谷:ハイでは次、飴町さん。まずはこれ。

我のため刻む大根吾子のため刻む大根こんなにもこんなにも

 いや〜、いいっすね…あれですよね、自分が食べると思って作るご飯ってなんも考えないじゃない。でも赤ちゃんのご飯作ろうと思った時、実は色々気にしなきゃいけないことに気がつく。食材そのものから始まって、温度、味付け、そして具の大きさに至るまで。これはたぶんやらないと気づかないだろうなあ。
 ご飯作るとき、まあこのくらいなら食べられるかなって考えながら野菜切ったんだろうね。そして初めてそんなこと意識したんだろうねきっと。それでもやっぱりいざ食べさせてみたら、あんなに小さくしたのにそれでも赤ちゃんには大きすぎてびっくりしたのかな。こんなに小さなものしか入らん口で一生懸命生きているのかって、驚いたんだろうなあ。これを一切感情を表す言葉なしにここまで読ませるのがすごい。わたしすぐ嬉しいとか悲しいとか言っちゃうから。
 今回の5首のうち3首は育児詠で、赤ちゃんのか弱さや脆さに生活の中でいちいち気づいている。この間生まれたばかりなのにすぐ大きくなってしまうからその一瞬一瞬を見逃すまいと常に敏感にアンテナを張っているから、子どもを育てたことのないわたしにも響くんだろうなと思いました。よその子とオクラは本当に育つのが早い。博多華丸大吉先生の教えはどこまでも正しかった。一生着いていきます。以上です。

原井:次鋒ハライいきます!
 僕もやっぱり、大根を刻む歌がまずは好きだな。「刻む大根」と「こんなにも」のリフレインが、大根を刻む手つきとリンクしていて、情景が浮かびやすいよね。刻む、という動作の繰り返しごとに子どもへの思いも強調されるようで、読者へ訴えるものがあります。
 あと、

粥をやるたびに挙げくるちさき手に手を重ねをり我が腹のなる

の歌。最後の「我が腹の鳴る」がいいよね。お粥を食べてる小さい人と、小さい人にお粥を食べさせるために、自分の食事は後回しにしている人。愛だよ愛。ちくしょう、人の親め!

宗谷:そーだそーだ!

原井:僕からはこんなところです。フリートークはじまったらさらになんか思いつくかも。

宗谷:ではご本人登場〜


(なかなか登場せず1時間の無言が続く)


飴町:子どもと寝落ち太郎見参

原井:出たな、人の親!

宗谷:御家芸だ

飴町:はいどうも! 短歌界隈をさようなら~してる間におかげで立派に人の親になりましたよまったくよ。
 いや~~~そういうわけで五億年ぶりに短歌詠んだけど、まずは二人の評を聞くにそれなりに伝わる表現ができたようで満足満足。読んでもらえるもんですな。うなずきすぎて首取れたわ。
 今回「食」というテーマで楽しい感じにしようって言われたとき、原井さんでもないから生活詠にはなるな、久しぶりだし何にしようかなっていろいろ考えようとしたんだけど、いやもう最初っからどうあがいても出てこねえのよ。子どものこと以外が。我ながらびっくりしちゃったね。
 私も例に漏れず家で過ごした一年だったから、もちろん食も家に縛られた。とはいえいろんなシーンがあったはずなんだけど、どんな思い出も必ず子どもとリンクされててね……あーもうここから離れるのは酒飲んでる時間ぐらいしかねえな~~しょうがねえな~~ってなってこんな構成になりました。さすがに育児そんなにみんな興味ねえだろと思って。だから普段子どもとか無理じゃねってなってるねん原井の両方にここまで読んでもらえたのはめっちゃでけえな。詠んでみてよかったわ。
 ちょっと酒飲みますね。

原井:育児に興味出ちゃった自分への眼差し、ってのはたしかに感じるよね、短歌から。
 主体は子どもを眼差しているんだけれど、子どもを眼差している自分を眼差して発話している。

宗谷:育児でくると思わなかったからびっくりした。人間を育てとるやないの。

飴町:そうなのよ人間を育てとるのよ…そして育てるということは、己らもまた人間として育てられるということなのよ…そういう意味では確かに原井さんの考察はあってる気がする。

宗谷:そうだねー、こんなことしちゃってるよ自分!みたいな驚きがあるかも。こんなに大根刻んでるよ!自分のご飯差し置いて子どもにご飯食べさせてるよ!みたいな。そしてそうする理由は当然子どもへの愛情だよ!というね〜〜〜。

飴町:ほんとありきたりな言葉になっちゃうけど愛は愛なんだよな…いやしかしなんというかね、人間、親になるとマジで「親」としての人格に支配されるのよ。脳内ハックよこれは。ビビる。じゃあ私はどこに行ったのよって話になってくるのよ。んでたぶんそれをつないでくれるのが私にとっては酒なんですな。(ゲス顔)

原井:酒は大事だ、ということですね。

飴町:聖書にも古事記にもそう書いてある。

宗谷:なるほどねえ。
 自分1人に戻れるトリガーがあるのは大きいね。酒があってよかったね。

原井:コーランにもきっと書いてあるはずだ(無知な人並みの感想)

宗谷:あと普通に近況を知らなさすぎてこれ読んであー今こんな感じなんだって思ったわね。

飴町:話が逸れるとめんどくさいことになるからちょっと原井さんは無視しますけども、まあどうだろう、実際はもうちょっと進んでるよ。だんだんに人間に近づいてるので日々別の感動が次々湧いてきてるから、今回詠んだのは数ヶ月前ぐらいのこととかかな。
 三首目は育児から酒への切り替わりなんだけど、大事な酒タイムにも育児の残滓が浸食してくるやつです。残り物はもったいないからね。(モッモッ)

宗谷:ちなみにこのお菓子はなんだったんですか?

飴町:ハッピーターンのハッピーパウダーがないやつみたいなやつ(語彙)

原井:サラダせんべいということ?

飴町:サラダ味もねえな。たまごボーロよりもやさしい味で、口の中でふやかして噛む訓練なる硬さのもの。

原井:あー、なんか、知ってるそれ。名前がわからん
「赤ちゃんせんべい」で検索したらいろいろ出てくる類のやつだ

宗谷:赤ちゃんせんべいッッッッ
ていうか久しぶりにちゃんと話すと楽しいですね。普段連絡取らなすぎて。わたしがnoteの更新止めてるからですかね。ですね。

飴町:ですね!!!(8億dB ) はよ書けオラ

宗谷:また頑張って来年は本出しましょう(祈り)

飴町:やるぞ

宗谷:やるぞ

《宗谷の作》


原井:ねんの歌でまず印象的だったのは、

 鍋煮込む実家の母は使わないだしの素でも出る母の味

だわね。独り暮らしで「実家の」「母の味」を求めてしまう郷愁と、でも母は使わないだしの素を使ってみる、母とはずれていきたい親離れへの欲求。
「なんだ、だしの素で済ましてしまっても母の味が出せるんじゃないか」という心理的“親殺し”を成すと同時に、「待てよ、だしの素の味と母の味を区別できない自分は、母の味を本当にわかっていたのか? 自分は母を越えるどころかそこにまだまだたどり着けていないのでは?」という不安も去来し、親子関係のままならなさを表していて、自分のままならなさも思い出して苦笑いしちゃうような。
 あとは、

 朝靄のドリップコーヒーなるようにならないときの不在着信

かな。これは単純に下の句がいい。ドリップコーヒーと不在着信との繋がりは正直よくわからないんだけど、ただでさえなるようにならないときに、不在着信という不如意なことも重なって陰鬱な感じ。
 朝靄、ドリップコーヒーという静かな雰囲気から、不在着信に気づけどアクションを起こすまえに歌は終わる。「なるようにならない」状況に抗えない、抗うことを諦めて静かに見つめている、そういう感じが好き。
 これは僕の歌の中に「諦観」があるとねんが指摘してくれたけど、そこと響きあってるからなのかなー。
という感じです。ゆゆきちからはいかが?

飴町:まずタイトルから。独居て。と最初思ったんだけど、確かにただの一人暮らしかと言われたらこの人の生活って独居なんですよ。孤独感がすごい。単にそばに人がいないとかのレベルじゃなくて、そこにいたはず・あったはずのものとの分断。軋轢。乖離。一つ一つは大したことなく見えても、それらが重なることでじわじわと締め付けられているような主体の状況が見えてくる。
特に気に入ったのは

山間の夕立水平線恋しチキンライスは砂によく似て

かな。まあ上の句がいいよね。自分のホームとの乖離ですよ。独居先がアナザースカイになれてねえのよ。その海辺からの連想で下の句で砂が出てくるんだろうけど、一人暮らしの中身のない冷蔵庫から作ったんでしょうねチキンライス。これはオムライスの中身の話で言外に卵を波に見立ててるのかなとも思ったんだけど、いや卵ないときあるしね一人暮らし。スプーンで崩していくとどこまでも同じ色をしているんだけど、たまにぽろぽろと出てくる具が、もしかしたら夕日が沈もうとする浜辺で砂山から出てくる貝殻なんかに見えたのかもしれない。なんてことを考えてるうちに冷めてるよチキンライス。せっかく作ったのにチキンライス。あ~~~~~どことはいわず帰りたい。って感じですかね。とにかく上の句がいい。

宗谷:ナハハ。なんか嬉しいわね。
 いやいやほんと気づけば仕事を始めてもうすぐ一年が経とうとしております。宗谷といえば学生だったのにね。いつの間にかこんなところまで来たなと、ホント最近そればっかり思ってます。
 今回の連作は一人暮らしがテーマでした。食という題材を考えた時に、自然と一人暮らしをしていた時のことを思い出しました。暮らしていく中で、自分で思ってるより食べるということに前向きじゃないことや料理がそんなに好きじゃないことに気づきました。何に対しても鬱々としていた日々でした。料理ひとつとってもその工程の中にいちいち懐かしくもない故郷の風景を重ねてしまう、寂しいというのとはまたちょっと違うアブナさみたいな雰囲気が出したいなと思ってました。
 水平線が恋しいというのは山奥に住んで初めて分かったことでしたね。山奥って実は山なんですよ。そして本当に本当に海が遠い町だった。実家のほうもそんなに海辺ではないんですが、ここはその比じゃなかった。無性に海が見たい日にどうすればいいか分からなくて、写真フォルダを見返すしかなかった。
 あとゆゆきちのコメント読むと今回のこのネプリは楽しい感じにしようって言ったらしいですね。言い出しっぺのくせに全く忘れておりました。こんな暗いもん押し付けてどうもすみません。
 あと近況としては一人暮らしの物件を決めかけてるところですね。今回の連作にした一人暮らしも良い経験だったけど、今度はもうちょっとご機嫌に暮らせたらいいなと思ってます。
 独居ってのは簡単な単語がいいなと思ってなんとなくポンとつけたんだけど、結構いいタイトルだったな〜。

飴町:ほんとだよ暗いんだよ一番よ

宗谷:お家芸みたいなもんだね

原井:とんだお家芸だよ

飴町:しかもこの人も結局最後酒なんだよ。宗谷宴に改名しろ

原井:独居ガールうたげちゃん

宗谷:最後は酒だろ!でも原井さんが酒出してこなかったの意外だったな、最後は酒なので。

原井:酒は「飲」なので「食」で発想しようとしてたときに出てこなかったんだわ。
 最後は酒とか言うな。最初から酒だろ酒に謝れ。

飴町:全ては酒から始まったと古事記にも聖書にも書いてある。
 創世神話にありがちな原初の渾沌ってあれ全部どぶろくのことだから。
 まあどうでもええねんそんなことは
 今回詠んでくれたのが山奥独居学生時代とのことで、これから社会人としての一人暮らしがやっと始まるわけだけど、どうすか期待するところは。

宗谷:そうですね、やっぱり一にもニにも経済力ですかね。
 学生時代、特に終盤は本当にお金がなくて、日に晩ごはん一食が食べられたら上出来だった。さすがに丸一日何も食べない日はなかったけど、それでも春雨スープだけとかトマトジュースあっためてご飯だったものを入れただけとか、完全にダメだった。もともと痩せてたけどさらに体重がゴリゴリ減った。その辺に生えてる草って食べられるのかなって思ったこともなくはなかった。山だったし。でも学生生活がままならない後ろめたさがあって親には言えなかったんだよね。今でもこんな生活してたなんて知らないと思う。
その点今は毎月ちゃんと収入があるし実家も近いのでいざとなったらどうにでもなる。想定より家賃がちょっと高くなってしまって不安はあるけど、あの頃よりはまともな生活ができるんじゃないでしょうか。やっぱり暗いね。
生きるためのサバイバル独居じゃなくて、楽しい一人暮らしがしてみたいな〜。

飴町:限界生活すぎてウケるわ。まあ歌として昇華できてるのが救いだわね。暗いけど。逆に楽しい一人暮らしからは特に歌は生まれない気もするんですけど、そんなんどうでもいいので普通に健康に暮らせよオラと思ってます。明るい食を手に入れてくれ。

宗谷:逆にそこから離れて初めてここまで昇華できたかもしれないね。水平線が恋しいって気持ちを言語化できたのは今いるところからちゃんと水平線が見えるからかもしれない。これが見たかったんだよね。
 あと自分は「遠雷に〜」の歌が結構お気に入りだったんだけどあんまり伝わらんかったっぽいね。自分自身は出来に納得できたのでいいけども。だしの素の歌はパッとつくって一度も推敲してないけど結構色んな人に褒めてもらえて、まあそういう感じだよね短歌って!思いもよらず伝わるものは伝わる!

飴町:遠雷触れ損ねてたわ。2番目に好きよ。静まる水面ってので湖畔かなんかがイメージされた瞬間にパスタが出てくるのでやられたと思った。これは遠雷に気づいて火を止めたってことでよかったんだろうか。それともシンクの洗い桶? ってのがいまいち確としなくてね。うまくコメントできなかった。

原井:遠雷の歌、僕は掴み損ねてたんだよな……。作るときも読むときも理屈優先というか、理屈を便りに繋いでいくところがあるから、語彙と語彙の“ジャンプ幅”が広い歌から意味をくみ取るのが苦手

飴町:ちょっと走り幅跳びだったことは否めない。

宗谷:そうですね〜、上手く連想させられずに飛躍になってしまいましたね。

飴町:まあそれはそれとして、パスタの湯切りって見ちゃうよね。水面も静まるほどの静寂と考えると、なんとなく部屋も暗そう。遠雷の他には湯がシンクのステンレスを伝って排水溝に押し寄せていく音しか聞こえない感じ。一人暮らしのこと思い出すわ。たぶんパスタソースはレトルトなんだけど、なんならレトルトですらなくてただ食物として摂取するために調味料だけで味付けしようとしてる気がする。私がそうだったから。

宗谷:調味料パスタの定番味付けなんだった?
 わたしはバターと醤油と柚子胡椒!これめちゃくちゃうまいよ!

原井:調味料パスタ……未知の世界ですね……
 でも醤油バターごはんならやったことある。

飴町:調味料パスタ知らねえとか独居エアプか?
 醤油とバター入ればうまいからね。脂は正義だよ。私はバターも高かったから鰹節マヨ胡椒で誤魔化してたな。鰹節もパックの細かいのじゃなくて出汁用の大パックのぶっといやつ…。
 もしかして調味料チャーハンも知らない概念なの?

原井:調味料チャーハンはやる

飴町:よかった…はらいさんが遠い存在になるところだった

宗谷:調味料パスタ知らねえんだ…

原井:パスタでいえば、麺つゆに胡麻油たらして具なしつけ麺にしたことはよくありましたわね

宗谷:調味料チャーハンはごま油ありゃいいよね チャーハンっていうか焼き飯だけど。

飴町:私は肉単体で焼いたあとのフライパンは脂ギトギトのまま残しておいて深夜に具なし焼き飯してるよ。うまいから。異論は受け付けねえ。
 さて限界疎食会談になってきたところでそろそろ第二部に移りますか。このまま無限にいらんこと喋りそう。

宗谷:まだカップ麺スープ雑炊の話してない!

飴町:ほらもう虚飯の刃無限雑炊編始まっちゃったじゃん。

原井:限界ごはん自慢大会は日をあらためてね!

宗谷:エェン…
 じゃあ短歌編はこのへんで
 次回、散文編! 〜散文の感想って何?〜
 デュエルスタンバイ!

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