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療育と『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』(吉川浩満さん・山本貴光さん)

文筆家の吉川浩満さん&山本貴光さんによる『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』(2020年3月14日初版、筑摩書房)を再読しました。やはり、これは名著。善く生きるための羅針盤になる。


1度目に読んだ時は、エピクテトスの「権内と権外を腑分けする」という哲学の要点に心を惹かれました。そのこころを「風を憂うより船上を楽しむ」とい言い換えて、自らの学びにしました。


当時はこんなパートに心を惹かれた。

山本 彼はこうした状態をイライラして心の安まらない船の乗客にたとえているよ。
吉川 ほう。
山本 西風が吹けば船が進むのに、北風ばかり吹いているとする。すると乗客は「いつ西風が吹くだろうか」とやきもきする。
吉川 分かる。
山本 でも、人間は風の管理者じゃない。
吉川 どちらかといえば、風に吹かれる側だね。
山本 そうそう。風を管理しているのはわれわれじゃなくて、アイオロス(風の神)だ。
吉川 いまなら自然のメカニズムによって生じると考えるところ。
山本 古代世界では、神様になぞらえていた。
吉川 どっちにしても風を管理しているのは人間じゃないわけだ。
山本 うん。なので、乗客にできることといえば、せいぜい楽しい話でもしながら西風が吹くのを待つことくらいだよね。

『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』p36-37

自分のコントロールが及ばない物事に心をかき乱されない。それが「権外」。そうではなく、「権内」を見定めて、そこに注力する。

今回、再読した自分は、発達障害の可能性のある子どもの親として読みました。すると、感動ポイントが少し変わった。

それは「権内と権外を見分けるにはどのようにしたらいいのか?」という疑問について、エピクテトス哲学では「練習あるのみ」としている部分。著者らはこのように対話している。

山本  だからこそ、不測の事態で自滅してしまわないように、われわれは普段から練習しておかなければならない。
吉川  権内か権外か、あらゆる心像にこの基準を当てがってみろ、そして権外のものなら棄て去れ、と。
山本 そう、ひとつの基準、たくさんの練習。
吉川  キャッチフレーズにできそうだね。

『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』p109

ひとつの基準、たくさんの練習。これは権内か、権外か。権外なら、惑わされずにいこう。この繰り返し。

これが、発達を促す療育と重なりました。

療育には「ABA」という方法があります。これは好ましい行動があればそれに褒賞(ほめたり、ご褒美をわたしたり)で応え、その行動を強化するやり方。これもまさしく、「ひとつの基準、たくさんの練習」です。

療育を繰り返すと、「発達の再近接領域」という、いわば「できそうでできない」部分が少しずつ「できる」に変わっていく。これは、まるで権外が権内に置き換わっていくようではありませんか。

実は本書の後段では、エピクテトスが活躍した古代ローマ期と異なり、さまざまな科学的知見やテクノロジーで権内/権外の境界が変動していくことが指摘されている。この変動は、療育のようなトレーニングでも起こりうるように感じました。

権内/権外と障害を繋げて考えると、シンプルに考えれば障害を権外ととらえ、どうしようしがたいものとして受容するやり方が思い浮かぶ。しかし本書は、それだけではなく、境界をずらしたり、ずれていく境界に気づく大切さも語られていました。

再読しても発見に溢れる。本当に良書だと、深い感慨にひたりました。

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