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発達障害のある我が子をより愛するために読む

「発達障害のある我が子をより愛するために読む」というタイトルのマガジン(読書感想を束ねた自選集)を新たに作成しました。これまでアップした6冊を収容しています。これからどんどん追加していきたいと思います。

今年に入り、自分の子に発達障害がある(可能性が高い)ことが分かりました。最初は妻ともども、途方に暮れました。今振り返れば過剰なくらい、先行きを悲観しました。定型発達(発達に凸凹があるのに対比した健常の言い換えです)の両親にとっては、発達障害はあまりに未知の世界でした。

さまざまなブログを読み漁りました。玉石混交の情報に一喜一憂しました。一睡もできない夜を明かしました。悪戦苦闘しながら、さまざまな機関に連絡し、支援者とつながることで少しずつ前を向き始めました。

そうしてだんだんと、発達障害に関する本を手に取れるようになりました。今まで全く知らなかった、発達障害に関する文献の世界がそこには広がっていました。書店には、私たちのように暗闇に落ち込んだ親のための棚が用意されていたのです。

重度のASD(自閉スペクトラム症。これまで自閉症と呼ばれていた障害)の当事者である東田直樹さんの『跳びはねる思考』を読んで、その感覚の違いに驚きました。発達障害は、脳の感じ方、心の形が定型発達者とは異なるのだから、親の私たちの「常識」を子に押し付けてはいけないなと学びました。

私たちと同じ、発達障害の子を持つ親である社会学者・竹中均さんは、歴史上の偉人の営みに「自閉的文化」を見出すという画期的な取り組みをしていました。それをまとめた著作『自閉症は文化をつくる』のタイトルは、なんと挑戦的でしょう。発達障害は障害であると同時に、文化の地平を広げる可能性なんだと慧眼させられました。

大人になってから発達障害の診断を受けた横道誠さんの旅行記『イスタンブールで青に溺れる』は笑いました。抱腹絶倒とはこのこと。全ての当事者がここまで明晰に、かつユーモラスに自らの人生を語れるとは限りませんが、それでも、当事者の本を読んでワクワクするという体験が、私には救いでした。当事者の言葉と、定型発達者の「面白い」がリンクするという発見が。

直接障害とは関係ない本が、「発達障害の子の親」としての悩みに働きかけてくれることもありました。哲学者・谷川嘉浩さんらの『ネガティブ・ケイパビリティで生きる』がそう。障害がある子がどんな人生を歩むのか、その不安は「鉛」のように心の中から消えません。それを抱えて生きるというのは、まさしくネガティブ・ケイパビリティです。

本を読み進めるごとに、我が子のことが少し分かる気がしました。見え方が変わる気がしました。障害に対する理解が進むほどに、障害だけでは語りきれない我が子の魅力、可愛らしさ、人間としての輝きに気付きました。

私はこれからも、発達障害の本を読みたい。我が子の障害を知るために。我が子が生きやすい世界を構想するために。それは結局、愛する我が子を、もっともっと愛するために、本を読みたいということだと気付きました。

かつての私たちのように、我が子に発達障害があることで不安のどん底に落ち込んだ親に、このマガジンが届いて欲しいとの願いも込めました。この世界には、我が子をより理解するための手がかりがたくさんあります。

私の妻もそうですが「情報は欲しくても、本を読むのはしんどい」という方もいるでしょう。本の情報量は多く、読み切るまで奔流のように情報が続き、重たいと感じても不思議ではない。そんな妻も「ブログなら読める」と言っていたので、このマガジンは「しんどい親の代わりに読む」という役割も果たせればと思います。

発達障害は現状、「治す」手段はありません。本を読んでもやはり、発達障害を「消し去る」方法は書いていません。読んでもどうにもならないことは多くあります。「鉛」のように沈殿した不安も消えはしないでしょう。

しかし、発達障害に関する本を読むことで、その「鉛」に、苦しみに、寄り添ってくれる著者に出会えます。私の、あなたの、歩く道に実は、たくさんの足跡があることに気付きます。あなたの隣には私がいて、著者もいるのです。

私はここで読みます。時にはまた不安に苛まれ、読めない日もやってくるでしょう。でもきっと再び読み始めます。

「私は読めないな」と感じた時。「私も読みたい」と感じた時。このマガジンでいつでも待っています。本が私を待っているのと、同じように。

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