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剛さと寛さ 林大地『世界への信頼と希望、そして愛』

感染症、戦争、誹謗中傷、政治腐敗。
昨今の世界は、陰鬱な雰囲気が漂っているように思われる。
自分の人生を、はたまた世界それ自体を、投げ棄ててしまいたくなってはいないだろうか。全部リセットできるボタンがあれば、押すのにな、という風に。

林大地著『世界への信頼と希望、そして愛 ーアーレント『活動的生』から考える』は、リセットボタンを押しかけたその手の緊張を解し、温かい手で握りかけてくれる、そんな一冊の書物である。

林は、ユダヤ人思想家、ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)の著書『活動的生』を新たな視点から読み解き、ひとつのメッセージを読者に投げかける。それは、我々が「世界に信頼と希望、そして愛を抱いてもよい」というものだ。

私が『活動的生(英語版の訳書『人間の条件』)』をおよそ1年半かけて読み終えたとき、この本からは世界への信頼など読み取ることは出来なかった。事実、『活動的生』(や『全体主義の起原』)の文調は、暗いものであり、近代やそれ以降の時代への強い批判が展開されている。

そのような解釈に対して、林は強いフォームで一石を投ずる。特に「第三部 世界への信頼と希望をふたたび取り戻すには何をなすべきか ー世界への気遣いと子どもへの気遣い」では、世界に漂う鬱屈とした雰囲気を、ひとつひとつ丁寧に取り除いているようだ。「確かに、世界には矛盾や不条理が渦巻いているけれども、まだまだ捨てたもんじゃないよ!」というように。

そして、丁寧な論の運びとしなやかな主張に並んで最後に強調しておきたいのが、林の「古本への愛」である。著者略歴やあとがきにもあるように、林の趣味は「古本屋めぐり」で、古本から得た栄養が本書では至る所に染み出ている。

そのハイライトこそ、人間が生の痕跡を残すものが芸術作品に限らず、身近な次元(林が引き合いに出すのが「古書」である)にも存在することを読者に訴えかける箇所であろう。やや長くなるが、一息で引用することにしよう。

「一冊の古書を手に取り、それを眺めるとき、私たちは一冊の古書から、それを書いた著者のことや、それを売ったかつての所有者のことを想起することができる。その著者はすでに故人となっているかもしれないが、私たちは、彼がこの世界に残した生の痕跡としてのその古書を通じて、彼という存在に思いをめぐらせることができる。私たちはまた、古書の片隅に押された蔵書印や、ページの余白に書き込まれたメモの筆跡を通じて、あるいは古書の痛み具合や焼け具合、それが発する匂いなどを通じて、かつての所有者の人となりを想像することもできる。」234-235頁。

アーレントからメッセージを受け取った林は、今度は読者へとメッセージを伝えた。我々読者に期待されているのは、このバトンパスを続けていくことなのだろう。「世界に信頼と希望、そして愛を抱いてもよい」というメッセージの込められたバトンを。

林大地『世界への信頼と希望、そして愛 ーアーレント『活動的生』から考える』みすず書房、2023年。


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