つよいねじ/どくず

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18歳のスマホ封印生活(ーままならないから私とあなた)

スマホのない生活スマホを仕舞ったきっかけは些細なことだけど、数えきれないくらいあった気がする。 SNSを見て、気づいたら日が暮れていたことが何回もあったこと。 そのことで自己嫌悪に陥る日々のこと。 好きな女の子がTwitterをやめたこと。 久しぶりに出したラジカセが、なんだか心地よかったこと。 家族と、人間も知らない何かのペットなのかもしれないと話したこと。 スマホを見つめる丸まった背中が急に怖くなったこと。 何より、本当はもうずっと前からこの生活にうんざりしていたこと。

    • チョコミント味の炭酸は人生の味だった

      コンビニでチョコミント味の炭酸飲料を見つけた。 それはコンビニで売られているにしては少し安く、またミントグリーンに真っ赤な唇のイラストのパッケージが些かそのチープさを際立たせていた。 たまたまチョコミントに目がない知人との森への散歩からの帰宅途中だったわたしは、彼の肩を叩きそのペットボトルを指さした。 彼は半笑いでそれを手に取り、そのままレジへと向かった。彼は二時間ほどの運転の後であり、さらに二時間の運転を控えていたが、彼の瞳はいつも通り真っすぐな急カーブを描いていた。

      • 誰も知らない待ち合わせ

        「その筆箱素敵ね」 人の少ないフードコートで参考書を広げていた。英文と睨めっこするわたしの耳に、少し高くて柔らかい口調の声が滑り込んでくる。 「あ、有難う御座います」 いたのは、背中の少し丸まった御老齢の女性だった。 「ランドで買ったの?」 「はい、プーさんです」 「そう、可愛い。貴女によく似合うわ」 ちょうど2年前、後輩と行ったディズニーランドでプーさんのハニーハントに乗ったわたしはまんまとその可愛さに惚れ込み、勢いでプーさんの筆箱を買った。 シリコン製で、

        • 平凡で憂鬱な日々に君を追いかけている

          2020/11/19 退廃的な一日、夕陽が沈む瞬間を見逃した。 あのオレンジの光の先へ。わたしは勝手に朝陽のことだと思っているけど、それでも頭の中でずっと流れていた。 今日も平凡なのに変わり者のふりをしながら普通になりたいと叫んでいた。 普通を疑い続ける日々を重ねてその感性だけを普遍と呼んでいた。わたしが誰よりも普通だった。だからほんの少しだけ異常だった。 ババ抜きでジョーカーが疎まれるように、何にでもなれるものは時として酷く孤独だ。 突然「本当のこと」を大切にする

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        18歳のスマホ封印生活(ーままならないから私とあなた)

          もう子どもには戻れない

          2020/11/14 公園で昼食。小学生四人が薄着でボールを蹴っている(これを書く間に五人に増えていた)。 わたしの足元にボールを転がしてすみません、と少年が声を上げた。 こっち側に来た感覚。 彼らにはわたしが大人に見えるのだろうし、実際わたしはもう殆ど大人だった。葉を運ぶ風と秋にしては強過ぎる陽射しが、わたしにこれからはもっと外に出なさいと告げる。 歳を重ねて、友だちになりましょうという契りがなんとなく必要になった、という話を聞いて妙にしっくりきたことを思い出す。

          もう子どもには戻れない

          おまけ~スーパーフリーポップ~に浸った日

          洋服屋、病院、美容室。 手作りしたいちごジャムは宝石のように光っている。本物の宝石を見たことはないが。 キッチンにやってきた蟻を潰す。そこに今日を、明日を、自分自身のその先を見る。甘い匂いに誘われた命は呆気なくゴミ箱へと葬られ、二度と思い出されることはない。 今手にしている全ては思っているよりずっと早く朽ちるのだろう。もしも××が×××に××てもわたしは楽しいよ。 ずっとはないほうが幸せだね。予防線張り巡らせてる間に死んじゃうかもしれないくらい命は短い。それでも続ける

          おまけ~スーパーフリーポップ~に浸った日

          生きる価値は捨てた(2020/11/05の罪)

          2020/11/05 メンヘラ(便宜上、世俗的)の方々のツイートが流れてきてしまった今日 誰からも必要とされないから才能がないから死にたいなどと思ったことは記憶の限りでは無く、ただ絶対生きていかなきゃいけない死ねないのに只管雑魚だから泣いてただけなのだと思う 生きる価値が無いとかそんなのとっくに当たり前だし寧ろ自分はずっと有害で、せーので皆死ぬことがの何よりの平和で、それでも生きなきゃいけないから考えて考えて吐くほど考えて、ずっと気持ちは生きるほうに向かわせて、死にたくてた

          生きる価値は捨てた(2020/11/05の罪)

          2020/10/27の憂鬱

          若いから希望が沢山ある、みたいな理論にいつまでも納得いかなくて、ただでさえ死にしか向かえないのに、生きることそのものが諦めていくことのように語られるのが悔しくてまた泣いてしまう何も知らないことだけを知っている わたしはずっと有害でずっと無益だったその自覚だけをして生きているのに、でも報われないことを嘆いたら道徳的によく生きられない! 幸せに生きてはいけないけど自殺は逃げだそして生きるとは死ぬことだそんな馬鹿なことがあってたまるか 幸せになりたかったり不幸になりたかったりし

          2020/10/26の夜

          2020/10/26 涙を流してしまう程に幸福にが怖い日がある。 生まれてこなければよかったと思う。それは人生が長過ぎるからであり短過ぎるからであって、生きるには辛過ぎるからでありそして死ぬには希望があり過ぎるからである。 人生は生きるに値しない、という言葉がずっと頭に響いている。 幸福が鈍らせるもの、真理から目を逸らす麻薬。不幸な命を生み出すのは、いつだって幸せになってしまった人たちだ。加害者になりたくない。 でも、もう一度人間として生まれ直せるとしたらわたしはそれ

          10月14日のアノミー

          2020/10/14 アノミー(英: 仏: anomie)は、社会の規範が弛緩・崩壊することなどによる、無規範状態や無規則状態を示す言葉。 フランスの社会学者エミール・デュルケームが社会学的概念として最初に用いたことで知られる。 本当の愛など説くことはできない、と彼は考えていた。 馬鹿馬鹿しいものだと言いたいわけではなく、何ならその反対で、彼は愛というものをとても丁重に扱っていたように思う。 ラヴソング蔓延る世の中と、それを愛こそ全てと皮肉めいたように歌う彼。どちらが愛信

          10月14日のアノミー

          2020/10/03の想い

          2020/10/03 多少頭が働いてない方がいろいろ考えなくて済む、と思ってしまうわけだけれども。時間の流れの残酷さを誰よりも知った気になって、そんなことないことも知っていて、自分を神様と錯覚してしまう日さえあるわたしのことを誰もわかってくれないと思いながら好きだと言ってくれる人に身勝手に救われたりするのだ今日も。目の前のパスタが冷めることより、こんな日記を書くことが大切に思えてしまう時もある。 わたしにはとても好きな女の子がいて、その子は孤独の大切さと優しさの蔓延る世界へ

          2020/10/01の日記

          2020/10/01 16時間眠って食事をしたら1日が終わっていた。青い部屋に住んでいるのは誰でもなくわたし自身で、何を守るべきかも教えられず、はなから信じてもいない神に選ばれなかったと嘆くわたしは天国と地獄の区別もつけられずにどうにか幸せの断片を手繰り寄せ自分を説得し続けている。 望まない形で手に入れた永遠を今更謳歌しようともがき、誕生日の造花を愛おしそうに眺めた彼女の年齢は今年も14歳だった。わたしは透明人間となり、社会に負の香りを遺して今日も責任を取るように布団に潜る。

          コンプレックス

          わたしのコンプレックスは抱えた爆弾みたいな過去と失っていく今。 容姿も性格も全部嫌いだけど、わたしがわたしとして過ごした時間と使う言葉が最も嫌いなのだと今日知った。 「可愛いね」と言われてドキッとした。 それは、わたしが嫌いな場所だったから。 「一番可愛くしてくれたね」という言葉をわたしもいつか言いたい。 それはきっと容姿ではなくて(本当は容姿のコンプレックスはきっと浅い)、わたしの汚いと思う中身を、誰よりも貴方に可愛がって欲しい、という祈りなのだろう。 今日期待をして

          ト書き

          ずっと好きだった曲のタイトルを忘れてしまって、歌詞を検索しても出てこないから好きだった気持ちごと無かったことにしたくなった。 共通言語がずっと無い。 誰かと話していても、どこかでどう頑張っても埋まらない溝が気になって、目の前の日本語を話す日本人のことをどうしても理解出来ずに、日々の感情表現はいいねに頼っている。 同じ言葉を持っているというだけでわかりあえるわけがないのにそんな気になって、だからわかってもらえないことにとても執着した。 そのとき相手を理解しようとする気持ちな

          愛が欲しい

          わたしは、恋愛も家族愛も友愛も区別が無いような、ただ只管に誰かのことを想う瞬間を欲していたように思う。そして、何とも言い難いそれだけを愛と呼びたかったようにも思う。 他人(特に異性)にわたしなりの優しさを差し出すと、何故だか性愛を向けられてしまう瞬間があるということを知った。 わたしは側から見ればビッチと形容されても仕方がないような人間だ。 誰かを特別扱いするのが苦手だから誰にでも(そしてきっと必要以上に)優しくしていた。 悩んでいそうなLINEがきたら言葉と心の全部を使

          無垢な光

          眼鏡を忘れたまま一日を過ごした。 この視界が好きだ。私の好きな人も言っていた。いつもの駅が、ホテルのネオンが、信号機が、いつか見たバンドのミュージックビデオのようにぼやける。物体が光となる。いつもは下を向いて歩く駅の中も、前を向いて歩いた。同級生と目が合ったってどうせ見えない。 言葉が生まれる前にはモノが存在していなかった、とはよく言われている話だ。 言葉はモノに名前を付け区別をする。世界を分節化するのは物体自身ではなく言葉と私たちなのだということを、私は毎日を生きなが