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中学1年春。どらみ、violin🎻と出会う

(↑ No.2 おじいちゃんが海外の面白さを・・・から続く)

1968年夏。
C.I.S.V. (国際こども村)、スウェーデン、Halmstad で さまざまな言語が飛び交う中、リーダーやジュニアカウンセラーなど 総勢50名くらいの大所帯での 4週間暮らし。北欧の夏の白夜は、ブラインドを降ろして部屋を暗くすることも初めて知った。(冬は真逆で 暗い時間がほとんどになる→ゆえにインテリアは白木や明るい色のテキスタイルなど、気持ちも部屋も明るくなるデザインが多い。納得)

4週間後、スウェーデンから 皆、それぞれの国へ帰っていった。
私たち 日本の4人は、女性リーダーG先生の引率で、スイスのチューリッヒ、フランス、パリ、英国ロンドン、各3日くらいだったが、
心ときめく ヨーロッパの街並み、自然、素晴らしい美術館など
当時の日本では 決してできない経験を更に積み重ねて 8月半ば過ぎ、無事、羽田空港着。日本に戻ってきた。

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私の初海外行きを 心から応援してくれた 大好きな おじいちゃん。

実は私が出発する直前から 体調を崩し・・・私がスウェーデンで 遊び回っている間、時折 うわごとのように「節子は帰ってきたか?」とベッドの上で つぶやいていたという。

もちろん、すぐに おじいちゃんに 帰ってきたよ! ありがとう!
と報告に行った。 が・・ おじいちゃんは うとうと眠る時間が多くなり・・・

とっても残念で、本当に悲しかったけれど、私が帰ってくるのを待ってくれていた おじいちゃん。 その年の10月半ば、天に召された。
心の中で、なんどもなんども ありがとう、ありがとう・・・と繰り返した。
初めての海外で 体験してきた話を おじいちゃんに たくさん聞いてもらいたかった・・・しばらく涙が止まらなかった。

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CISVから帰国後、しばらく落ち着かなかった。


おじいちゃんの逝去で、両親もとても忙しそうだったし・・
私の 絶対音感を見つけてくださった先生と スケジュールが合わなくなり、
今度は 若い女性、T音大のピアノ科を卒業して間もない、バリッバリに
ピアノが弾ける・・上手い先生に師事することになった。

「せっちゃんは、将来 どういう人になりたいの?」 という 先生の何気ない問いに、、

幼少時、身体が硬くて諦めた バレリーナ(笑)の言葉は 口にせず、

とっても素直に、「ピアノの先生になりたいです!」
 と 答えた。


幼稚園の時、黒い鏡面塗装のアップライトピアノを買ってもらった。数年前、ピアノマイスター氏の工房で、黒塗装をはがし、下の杢目(birch 樺材)を活かしたブラウンに変身🎹今も私の相棒

「えっ!? ピアノの先生になりたいの?
 じゃ、今の 5倍! 練習しよう~♪」


ぎゃー!!!!!

今の5倍 ピアノの練習する、って

あまりに あっさり(笑)・・・ 
先生には 当たり前だったようだけど

・・・(私は 内心 ムリと思ってた^^;)

この頃、ピアノレッスンは 基礎的な練習、ロマン派のきれいなメロディの曲はよしとして・・・避けて通れない「J.S.Bach バッハ」の多声音楽(ポリフォニーという)の教本が加わり、アタマで 先生が ぐるぐると〇をつけた「テーマ」というのは わかるんだけど、それを指で表現するのが うまくいかず、
他の曲は進むのに、バッハが停滞して、少しピアノレッスンが
重荷に感じられてきた。 
何もかも順調にいくわけじゃないんだな、と悟る。
今は、バッハの音楽も好き。(弾くより 聴くのは、とっても好き^^)

けれど、ピアノのレッスン・・・うーん、私は 今の5倍練習は
できないんじゃないかな・・・
将来は 「ピアノの先生」・・・少し夢にかげりが出てきてしまった。

↓ J.S.Bach など「横の音楽」(私が子どもの頃 つまづいた音楽)と、
 シューベルトのように メロディ+伴奏パートで ハモる「縦の音楽」は

 どこが どう違うのか? 音楽初心者の方にも わかりやすく・・のつもりで書いた 以前のblog記事です。ご参考までに。


転機は 中学1年 入学直後にやってきた♪


2009年から使っている🎻製作年は新しいが、使われている部材は表板がフィレンツェ郊外、教会の床を支えていた梁材で400年弱、裏板、側面、このネック~スクロール部分はユーゴスラヴィアの90年超、硬い楓材。新作の楽器も とにかく弾き込んでいくと「自分の身体の一部」になる。


中1の春。中学に進学。部活って 体育系もやるもんだよね・・と 勝手に決めていた。
クロール50m泳げるだけなのに、無謀にも 水泳部に入った
(無謀というか、アホ過ぎ! →半年でやめることになる 嗚呼!)

部活は 2つ入ってよいと言われていた。

文科系の部活紹介は、学校の体育館。
女子ばかりだけど、うちの学校は 小学校から音楽に力を入れていた。 
合唱部も上手で感激したけれど・・

吹奏楽がなく、代わりに 🎻弦楽部 というのがあった。
文系の部活紹介は学校の制服で 体育館のステージの上。


弦楽部紹介の演奏曲目は、ヴィヴァルディ(A. Vivaldi 伊) の Violin concerto (ヴァイオリン協奏曲 a-moll , a-minor, イ短調)

中3の先輩が 二人 ソリストとして登場。
1楽章、3楽章のソロパートを 二人のソリストが分けて弾き、
バックの弦楽合奏の前で 颯爽と弾き切った。 感動した!

すごい! カッコいい! 私も ああなりたい! 
(← 完全に ミーハーである!^^;)


ピアノで停滞していたから、すごく新鮮に思えたのも否めないが、

正直、TVの画面越しではなく、中3の先輩であっても、

目の前で 生のヴァイオリン🎻の音を聴いて、心から感動した。

理由は ミーハーでもなんでもいい。 あの先輩のように、

あの先輩が弾いた曲を 弾いてみたい。弾けるようになりたい!


最初の楽器🎻から数えて これは3代目。
今は2009年に注文制作していただいたKyrieという🎻を弾いてます♪

🎻Violin に魅せられた どらみ

帰宅すると、すぐ母に 🎻violinを聴いて 感動したこと、
自分も 弾いてみたい・・・思ったままを伝えた。

意外なことに、母は笑顔で 喜んでくれた。
4歳年下の妹も 私とは違う先生にピアノを習っていたが、

母は🎻violinの音が好きで、実は 内心、姉妹のどちらかが
violin 弾きたい、と言ってくれるといいな・・と 密かに思っていた由。

当時の中学の校舎は 都区内、大学と同じ構内にあり、
小学生でも大学生でも通える、いわゆる「趣味、おけいこ教室」の古い建物があった。

その中に、とても広く普及している、いわゆる 鈴木メソッドを使って
🎻を初歩から習える教室があることも判明。

学校の構内で 歩いて移動するだけだし、小3位から習っている、となりのクラスの友人も 同じ 年配男性の先生に師事していることもわかり、
これまた無謀にも、「弦楽部」の門も 同時に叩いてしまった私は

ものすごく忙しい毎日を送りはじめた。

母と 構内の「ヴァイオリン教室」を訪れ、片足が不自由でいらっしゃるからか、椅子に座ったままレッスンするという 年配男性の先生にご対面。

ピアノを弾くこと、楽譜を読むことに問題なく、どうやら絶対音感があること。

先生は喜び、早速初心者用の 楽器一式の手配(カタログをみながら、ほんの少~しだけ良い楽器→プラスチック部品ではなく、一応全て木製)、
鈴木バイオリン教本の 第一巻目の冒頭、「きらきら星変奏曲」から始めること・・など、ピアノとは全く違う世界の扉を開けることになった。

17-18c、イタリアの有名な作曲家。アントニオ・ヴィヴァルディ
ヴァイオリン属の弦楽器は この時代、すでに完成形。弦合奏+通奏低音(チェンバロなど)+木管楽器(木製フルート、オーボエなど)、ハープ(今より小型のもの)など
膨大な数の楽曲をのこしている。

ヴィヴァルディはじめ、バロック~古典派初期の作曲家、ふりふりカールしたみょーな髪型が気になる あなたは、こちらのblog記事をみると、ナゾが解けます(笑)↓



🎻を始めたどらみ。

ここから、私の人生の方向が ガラリと変わっていく・・・

大変な努力が要ることも まだ知らず、とにかくワクワクする気持ちで いっぱいだった♪ (続く)

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