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まどろみの竜と狂える乙女たち

 初夏の日差しを避け目抜き通りの賑わいと潮風を背に、路地に入る。
 人目が減ったところで角を曲がりぎわに左手の指輪を軽くこすりながら、わたしジュリカ・ジュテが向かうのは〈ウミツバメの天秤〉亭
 重い扉を押し開くと、肉と香辛料の焼ける匂い、そして人いきれが押し寄せる。
 まだ陽も高いのに、けっこうな喧噪が店内に満ちている。見たところ、その多くは商船の船乗りや港の労夫と、冒険者を自称する流れ者連中のようだ。
 暑苦しい男たちの体臭が入り交じって鼻をつく。そういえば今日は港に大型商船が着く日だったか。

 賑やかな歓談の声、そして坏を酌み交わす音を尻目に酒場の奥へと歩を進めると、カウンターの男が声をかけてきた。

「よう、ライゼル。奥にあんたを探してるって男が来てるぞ」

 ギョロリとした目玉の、だが意外と愛想のいい店主だ。
 わたしをライゼルと呼んだということは、指輪に仕込んだ認識代置マスクの術式は正常に機能している。彼の目にはわたしは理知的な初老の男に見えていて、その正体が赤毛でチビで痩せっぽちな小娘だとは気づかない。
 もちろんライゼルというのもここでだけの偽名だ。

「今日はエビとテッゾ貝の煮込みがある。どうだ?」
「じゃあそれとシカ肉の炙り焼きを二人分。シャバラ茶も頼むよ。客には酒を」

 満足げにうなずく店主をあとに奥のテーブルへ向かうと、太った中年の男が落ち着かない面持ちで待っていた。初めて見る顔だ。

「俺に用があるって?」

 テーブルを挟んで反対側に座りながら、わたしは別の指輪をこする。こちらは遮音ミュートの術式だ。周囲に話を聞かれたくはない。

「ああ、あんたがライゼルか。私はバリィズという。あんたのことは封印協
会のホルガトゥスに紹介されたんだ。その、な、仕事を頼みたいんだ」

 バリィズは汗をしきりにぬぐいつつ、やや視線を泳がせながら早口でそう言った。
 ホルガトゥスはお得意様だが、こういう手合いに軽率に紹介しすぎる。一度釘を刺しておいたほうがいいかもしれない……とは思うが顔には出さず、ここは神妙に頷いておく。

「それで?」
「あんたは、その、竜を騙せるって。詐竜師ジャグラーだって聞いた。竜脳サーバを欺き竜脈ネットを渡り、転門ポータルを操ることも、と。……本当なのか? そんなことが本当にできるのか、あんた」

 そんな気取った職を名乗ったことはない。よしホルガトゥス今度シメる。

「さてね。できることはできるし、できないことはできない。俺があんたの依頼を受けるかどうかは依頼内容と報酬による。俺のことを聞いてるんなら、金には興味がないことも知ってるはずだ」
「ああ、ああ、もちろん聞いてる。そりゃあ興味はないだろうな、転門ポータルを操れるのが本当だってんならいくらでも……」

 不安げな顔で男はこちらを見る。

「ホルガトゥスが言うんだから間違いじゃないとは思うんだが、その、事が事だけに私も話しにくくて、な。わかるだろう?」
「疑うのも無理はないが、察するところ、あんた崖っぷちなんだろ? じゃなきゃ俺に頼ることもない。ちょうど飲み物と飯も来たところだ。食いながら話を聞こう。あんたの奢りで」

 折り合いよく給仕の娘が運んできた料理をテーブルに並べながら、わたしはそう言った。
 美味そうな匂いが空きっ腹を殴りつけてくる。
 依頼人が気持ちよく話せるようにするのも仕事のうち。まあ、無駄に終わったところでタダ飯にあずかれるなら、それはそれで。

 ──そう、この時のわたしはこのバリィズの口からあんな話がもたらされるとは本当に、ただの一欠片も予想だにしていなかったのだ。

* * *

「いやマズいだろ、こりゃ。どうする……?」

 思考は高速で駆け巡り、無意識に言葉が漏れる。
 わたしは店を出ると認識代置マスクを解きながら、近くに借りている隠れ家に向かう。薄手の外套をはためかせて籠もった熱を逃がしつつ、気が急いて小走りになる。
 石畳を駆け抜け人通りの乏しい裏路地に面した玄関から半地下の隠れ家に滑り込むと、いつものように念入りに戸締まり。
 そして埃の積もった何もない部屋の中央に立つ。

 すぅ、と一つ深呼吸。

 そして呪唱キャストの代わりに踵を三度鳴らすと、わたしの身体も、衣服も、荷物も、すべては魔素クァンタムに還り霧散した。
 しかしわたしの自我はすべての構成データを抱え込んで、落ちるようにするりと潜脈アブストラクトする。

 竜脈ネットと呼ばれる、大陸に張り巡らされた精霊回廊ニューロン。そのささやかな末端がこの部屋の下にも伸びている。
 街中に細々と張られた支流から太い支流へ、さらに太い本流から都市間を繋ぐ大動脈へ。
 例えるならわたしの身体が透明な魚になり、同様に透明な乱流を、より激しい流れに向かって飛ぶように駆け抜ける。

 脈動し明滅する光の奔流を擬似的な視覚でとらえ、かいくぐる。
 転門ポータルを使う通常の荷馬車や旅人たちは、こんな光景を目にすることはない。
 ほんの一時、うたた寝をしたような感覚の間に街から街、都市から都市へと転移する。

 その移送を司るのが竜脳サーバだ。

 転門ポータルをくぐったものすべての構成データを記憶し魔素クァンタムへと分解、別の転門ポータルで周囲の魔素クァンタムを使用してさきほどの記憶から再構成エンバディメントする。

 竜脳サーバ竜脈ネットを渡る構成すべてを認識し、記憶し、管理する。探波ピンを放ち異常を感知すれば、ただちにそれを修正する。

 特別なのは、わたし。

 転門ポータルを介さずに竜脈ネットを自在に渡ることができる。探波ピンを避け竜脳サーバを惑わし認知をすり替える。竜脳サーバ記憶から構成データを抜きとり、あるいは挿しこむことで、望むままの演算を得る。
 これは渡航商会プロバイダの目を盗み竜脳サーバを欺ける、わたしだけの特技ジニアス

 引き伸ばされた体感時間の中、自我跳躍体アストラルのわたしは竜脈ネットを滑るように泳いでいく。
 港町ミルミッカから第六城塞都市パメラブロウまで、早馬で駆けても20日はかかる距離を、実時間ではほんの瞬きの間に跳躍する。

 もうすぐだ。

 目指すは転門ポータルではなく、竜脳サーバが設置されているパメラブロウ外縁のディニエレ冷廟窟マゾリアム。大昔には地下迷宮と呼ばれていた穴蔵のいくつかは竜脈渡航シフトスラストの時代になると竜脳サーバの安置場所として再利用されるようになった。

 ディニエレがえた。
 わたしは付近の気配を慎重に探りつつ、竜脳サーバにわたしの構成データを滑り込ませる。ただちに魔素クァンタムがわたしのすべてを再構成し、竜脳槽ポッドの脇に浮脈エンバディメントする。

「……ふぅ」

 欠損なく実体を取り戻した身体で、改めて深呼吸をする。
 周囲を満たす大瀑布の轟音と、潤った空気が心地よい。
 何より涼しい。
 ミルミッカの街中とは大違い。

 神代超越種エルフが造ったという巨大な滝が落着する大空洞は、清涼で厳かな空気に満ちている。滝壺から凍るほどに冷たく無害な水がふんだんに竜脳槽ポッドに流れ込む。安置された竜脳サーバが心地よく思考するのにうってつけの場所だ。

 すでに死に絶えた竜種、その中でも最上位の〈八賢竜オクタ〉と呼ばれた古竜エンシャント
 その頭部だけを現代術式で再生培養し、複数の脳を接合したものを竜脳サーバと呼ぶ。

 竜脳槽ポッドの栄養液に浮かぶ巨大な五つの生首は頭骨を切り開かれ、露出したすべての脳みそを融合癒着されている。
 ただひたすら竜脈ネットの制御と管理のための思考をする、死してなお生きる物体。

 どの経絡節ノード竜脳サーバも一見似たようなものだが、ここの竜脳サーバはわたしのお気に入りだ。
 ほかとは違って愛嬌がある。
 虚空を見つめながらぴくぴくと震える巨大な眼球とか、喘ぐように開く顎の動きとか、ときおり覗く長い舌とか。

 見上げながら思わずふふっと笑みをこぼしてしまう。

 いや、べつに竜脳サーバで和むために来たのではない。
 わたしの商売的にちょっと困る緊急事態。
 それをなんとかするために相棒に会いに来たのだ。


 とくに捜し回る必要もなくその女は冷廟窟マゾリアム詰所のソファで腹を出してひっくり返っていた。
 申し訳程度の布地のみの格好で、いい歳をして大股を広げ酒瓶抱えて高いびき。
 さらには盛大なよだれの跡まである。

「おい、ククス。起きろ」

 横っ腹を蹴ったら「むぎゅ」と鳴いたが、まだ起きない。
 さっきまでいた酒場よりはるかに酒臭い。そして汗臭い。惰眠を続けるククスコル・ラ・カームラッドの阿呆づらをうんざりしながら見下ろす。そのだらしなさに心底辟易へきえきするが、しかし外見だけは絶世の美女だ。
 黄金を溶かしたような長い髪がいかにボサボサであろうと汚れていようとその美しさを損なうことはない。しかも顔だけではない。扇情的な肢体はいかなる絵画や彫像をも超えて艶めかしい。見た目だけは。
 だからなおさら腹が立つので、その顔面を思い切り踏みにじり唇を割って踵をねじ込む。

「ぐぎふ、ご、痛ぇなこら! この靴底、ジュリカだなてめえ! 死ね!」
「さっさと起きろこの穀潰し。マズい事態なんだよ」

 飛び退いて足をどける。下手に足をつかまれたら投げ飛ばされかねない。こう見えても聖柩騎士崩れ。この馬鹿には人間離れした膂力がある。

「あーもう、なんだよ。しばらく顔を見ないと思ったら、人の安眠をなんだと思ってやがる」
「なんだと思ってやがる、じゃありませんよ、ククスコル」

 詰所の奥から出てきたもう一人の女が、わたしに先んじて厳かに言う。白と金の法術衣クリーンに身を包んだそいつは、冷ややかにわたしたち二人を睨めつける。

「ジュリカ、お願いですからいいかげんこいつ引き取ってくださいよ。だいたいここ、そんなほいほい立ち入られても困るんですよね、あたしとしては」
「いいじゃんかよう! 暑いの苦手なんだよう! ここ涼しい! さいこう!」

 寝っ転がったままのククスがじたばた暴れている。この中ではいちばんの年かさとは思えない。

「どこの幼児ですか貴女は。見苦しいにも程があります」

 渋い顔でその女、サディ・クンターピンは豪勢な机の向こう側にまわり、椅子に深く腰をかける。
 サディは渡航商会プロバイダの一員でここの竜脳サーバ巫女シスオペ、しかも若くしてその長だ。つまりこのディニエレ冷廟窟マゾリアムの責任者である。保安のため本来なら関係者以外お断りのこの場所に、わたしたちが秘密裏に入り浸って使えるのもこのサディ様のありがたいご高配あってのことだ。

「心の底から感謝してるよ、ほんとほんと」

 外套の下から出した革袋を机に乗せ、そっと押しやる。中身は神帝金貨100枚。さっき竜脳サーバの記憶から構成データを引き出して浮脈エンバディメントさせたもので、もちろん事実上の“本物”だ。
 早業で革袋を懐に収めると、サディは顔色ひとつ変えずククスを顎で示した。

「いただきますよ? いただきますけどね? でもそこの外見ガワだけ綺麗な生ゴミの預かり賃含めたら5倍いただいても足が出ますよ。誤魔化すのもクッソ面倒ですし」

 まあそうだろうねと思うけど心の中に留めた。
 嫌味な言葉と視線もどこ吹く風といった顔でククスも起き上がり、あくびをしながら身体のあちこちをぼりぼりと掻いている。

「……んで、ジュリカ。なんかマズいって言ってなかったか?」
「あ、それそれ」

 ククスの間の抜けた声で、わたしはここに来た用件を思い出した。


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本作品は むつぎはじめ氏の個人企画【サイエンス・ファンタジー ワンシーンカットアップ大賞】 参加のための書き下ろしです。

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