自殺までのタイムリミット 死は希望
自分は長くは生きないと思ってる。いつかの記事で書いたように、自分が生きていられるのは20代で「若い」というアドバンテージがあるおかげだ。
青年の定義から外れる35歳を超えた時、挽回できる可能性はほぼ0となるだろう。
40歳以上生きてる可能性は結構低いと思ってる。もしかすると結局死ねなくてズルズル生きるかもしれないが…。
年金はまともに貰えないだろう。身体も心も老いて劣化して、生き辛さがさらに加速する未来を想像したくなかった。
人生100年時代とかふざけた言葉にむしょうに怒りすら沸く。
死は生きる希望
大学生の時、初めて自殺を試みて失敗したとき、自分の中である種の「吹っ切れ」があった。
あの時は準備不足が原因で失敗した。もっとお金をかけてガッチリとしたやり方でやれば次は失敗しないだろう。
死ねるという事実が心の支えになる。
例えば押すだけで安楽死できるスイッチがあるとする。するとどういう心理状態になるかと言うと、「押せば死ねるのだから、もう少し頑張ってみよう。限界が来たらいつでも死ねば良い」 こういった心理状態になるのだ。
全員同じ考えではないと思うが、少なからず本気で死を考えたことがある人にとって死は希望であるのではないだろうか?
死ねるから安心できる、死ねるからもう少しだけ頑張れる。
死を本気で考えたことがない人は死を否定する。
安楽死に反対しているような連中がまさにそうだ。
苦しんで生から解放されたくて死を選ぼうとした人間は、そんな簡単には死は否定しない。できない。
それと同時に「死の希望」は人を堕落させる。
自分のことだ。
「どうせ死ぬのだから何をやっても無駄」そういう考えになりはじめる。
今まで何をやっても生きるのが辛かった。頑張る気力があんまり残ってない。
どうせ上手くいかないことが何となくもう分かってしまっているから。
残りの人生をどう生きるか
30代で死ぬということを前提にして今後生きていくことを考える。
数日前に記事で書いたように、月20万そこらの金を稼いで「ただ生きていく」ということはしたくない。その人生に意味を感じないから。
結婚、子供を持つということもできない。自分だけで精いっぱいでいつ死ぬか分からない人間が結婚するわけにはいかない。
贅沢をしなければ二年くらい何もせず1人暮らしをできるくらいの貯金がある。
この金を使って海外で生活しようか、日本全国を転々として生活しようかたまに考える。
そしてその後に死ぬ。
少なからず自分が死ぬことによって多少悲しむ人間がいることは知ってる。
だから1,2年くらい距離を置き、自分という存在が人の記憶から薄れるのを待つ。
もし自分の死によって悲しい思いをさせることになったとしてもそこまで大きなダメージを与えるまでにはいたらないだろう。
せいぜい数か月程度で悲しさはほとんど感じなくなるはずだ。
全国を旅して、自殺を選んだバイク乗り
一年前、とあるライダーが自殺した。
日本全国をバイクで一周し、北海道のダムに身を投げて死んだ。
それまで楽しそうに旅行日記を投稿していたのに、旅が終わる最終日、自分がADHDであり、それが原因で生きることが辛いと告白して亡くなった。
日本一周の旅がその人の遺書だったのだ。
不謹慎だが、自分はこの人の最期が少し羨ましくも感じた。
人生の最期に、自分が大好きだったバイクと旅行を存分に楽しんでから幕を閉じる。
最高に自由な最期だと思った。
もし自分も死ぬなら、この人のように人生を終わらせたいと思った。
自分も旅行が好きだ。去年5日くらいかけて東京と横浜を旅行した。
勿論1人での旅だったが凄く楽しかった。
旅行が終わりに近づくにつれて少しずつ気分が重くなる。
そして旅行の最終日、飛行機の時間が近づいてきたとき悲しくて泣いてしまったのも覚えている。
夢が覚める瞬間を直視したくない。現実に戻りたくない。楽しいまま、満たされた状態で人生を終わりたい。
楽しいことは麻薬だ。
楽しければ楽しいほど、終わった後の副作用が大きい。だから楽しい出来事が怖くなる。
今日はあまり考えがまとまっていないような気がする。
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