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マンガを作りたい理由って、何なんですかね?

今日、コルクラボマンガ専科の山田ズーニーさんの表現の授業が全3回、全て終わった。
ズーニーさんの授業の後はいつも脳みそが芯から疲れ切る。
数時間の間に、自分の見たくない内面を掘りおこし、他人の人生の歩みを追体験する。
今日も、疲れ果てて20時そこそこに寝てしまったら、夜の変な時間に目が覚めてしまった。
まだ、脳みそが興奮しているのがわかる。

否応なく考えてしまう。
いったい表現するとはなんだろう?
なんのために創作するのだろう?
ずっと、そんなことを考えていたら、自分の中で浮かんできた言葉は

寂しいから

身も蓋もない答えだが、今の自分には、これが問いの終着点のような気がしてる。
どうしようもなく寂しい。
人に伝えたいことがあるわけではないが、創作してるのはきっと自分という人間を誰かに見てもらいたいんだろう。
誰かに自分がいることを知ってもらいたい。
ひたすらに恥ずかしい行為で自分の愚かさを再認識するだけなのに、
それを差し引いても、駆り立てるもの。

「マンガを作りたい理由って、何なんですかね?」

ある時、マンガ専科のある人が放った問い。

マンガでなくてはならないのか。
人に話して伝える。文章で伝える。音楽で伝える。絵画で伝える。
伝える方法は多種多様なのに、なぜマンガなのか。

先日、マンガ専科のDiscord で調子に乗って自分が普段考えていることや感じていることを恥ずかしげもなく他人に吐露した。
自分が喋りすぎた翌日は決まって激しい自己嫌悪と恥ずかしさに襲われてどうしようもなくなる。
つくづく、人と話すのは下手くそだと感じる。

今日のズーニーさんの授業では、ごくごく短い物語を作った。
自分でも文章の表現力、人物描写が乏しく、ストーリーも稚拙だなと思ったが、物語という表現方法の伝わり方はハンパない。
情報を物語形式にするだけで、たちまち、それはただの情報ではなくなり、人の感情を揺さぶり、その後の人の人生を変えてしまうほどだ。

同時に、この物語をマンガで表現したなら、もっと人に伝わるものができるのではと思った。
少なくとも、もうちょっと面白くなるのでは、と。
苦しみながらも1年ぐらいマンガを作ってきて、マンガ表現の凄さを感じている。
自分は文章を書きたいわけではない。
もっといえば、イラストやスケッチを描きたいわけでもない。
ただのマンガを描きたい。
そして、それが自分自身をもっともうまく表現できる手段なのではないかと思ってるのだ。

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