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『外は夏』(キム・エラン)読了

携帯電話の中の訃報を思い出しながら、ふとスノードームの中の冬を思った。球形のガラスの中では白い雪が舞い散っているのに、その外は一面の夏であろう誰かの時差を想像した。p189

ひとつひとつの物語を読み進めるとき、名前もつけられぬまま浮遊していたさまざまな感情を、光を反射せず吸収していく酷くざらついた白い紙製のファイルにひとつずつしまうようだった。ふくざつに入り組む感情たちは早く名前をつけられて安堵したいのか、あるいは絡まりあったネックレスを解く作業を諦めてほしそうに、私の周りをぐるぐると廻った。

一方で言葉と言葉のあいだを泳ぐのが、とても心地よい本だった。市場に並ばれた鮮魚が自分の生まれた場所はここだったのだと、はたと気づき海水に身体をつけるような感覚。死んだ肉体とは別に、確かに馴染みある感覚にだけ集中して幾分か変わり果てた自分の姿に気付くまで、他のものに見つかって喰われるまで、海底に沈み大きな循環の一部になるまで、そこで生まれた場所と馴染むようだった。

7つの物語を読んだ後、私の目の前には文字の向こう側に知らないはずの顔たちが、知ってる者たちの顔をしてこちらを見つめている気がした。たとえそれが作者のヒントをもとに私が作り出した人々だとしても、この世界のどこかで私を見つめている気がした。

彼らが向ける視線に、私は目を逸らすことができないでいる。

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