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みんなお母さんのふりをしている。

子供が産まれる前、はっきりとお母さんになんてなりたくない!って思ってた。
お母さん=自己犠牲というイメージが強くて、どう考えても憧れのお母さん像が分からなかったのだ。
自分の親に感謝しているけど、私もそうなりたいかと言われれば違うと思った。

でも、子供が産まれて、強烈に可愛い赤ちゃんを前にして、お母さんになれて本当に良かった。ありがとう。という気持ちでいっぱいになった。
手のひら返しのように、気持ちは切り替わった。

とはいえ、母になるのは大変だった。

子供を見てるとすごいものを産んでしまったと心がソワソワ、ミゾミゾして落ち着かない。
お世話はとても大変で、寝不足だし、腱鞘炎が痛い。
夫は私を分かってくれない。
鏡に映る私はブクブク肥えて、肌は荒れて、髪はぼさぼさでとても醜い!

私が今特にこたえていることは「自分」が分からなくなっていることだ。
この子が産まれるまでに楽しくて仕方なかったことに興味がなくなり、欲がなくなっていく。
私を失っていくような変な気持ちになる。

でも、それは娘の可愛さが全て帳消しにしてくれるような気もする。
朝起きて私を見つめてにっこり笑うその姿を見て、こんなに誰かに愛されたのは初めてかもしれないと思う。

そんな風に、身体も心も目まぐるしく変化しながら、母になることを受け入れていっている。

生後半年くらいから、ホルモンの乱れも整ってきたのかずっと楽になった。
子供を見て色んな感情で心がソワソワミゾミゾする感じがなくなって、赤ちゃんという「当たり前でない幸せ」をようやく受け入れられた気がする。
変な表現だけど、奇跡が当たり前になってきた。

そんな中で、ようやく気づいたこと。
それは、みんな「お母さん」を演じているんだということ。
もちろんそれはネガティブなものだけでなく、自分の子を幸せにしてあげたいという気持ちから、母としての役割を果たしているということだ。
母親らしいふるまいを楽しんで、幸せを感じている人もいるだろう。

でも、それはみんなみんな最初から出来たわけでないんだと思う。

妹や弟が産まれて、兄らしく姉らしく振る舞おうと頑張るように、社会人になって常識的に行動しようと思うように、親の老いを感じて心配かけないように自立しようと思うように…、誰もが自分をコントロールして、求められていることに答えているんじゃないかな。

可愛がっている4歳の姪っ子が、この間「娘ちゃんのママ」と私のことを呼んだ。
今までずっと「かなちゃん」だったのに。
私はそれが少し寂しかった。
でも、私の娘に私を「かなちゃん」と、呼んでもらいたいわけではない。
娘に対して、私は自立した1人の人間だ!だなんて伝えたいとは思わないし、ママという受け皿で彼女を包み込んであげたい。

私たちはみんなこんな風に、お母さんのふりをしているんだ。

そう思うと感謝の気持ちが湧いてくる。
ありがとう。お母さん。

そして、そんなお母さんたちもみんな1人の素敵な人間だという気持ちも同時に湧く。

お母さんのふりをやめるとき、お母さんであることが私の一部になるのだろう。


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