見出し画像

ノートの落書き

私は国語の教員です。
私の授業では、ノートの落書きを禁止していない。

よっぽどひどいのはのぞいてだけど。

理由は、学力がどうのとか、自由な発想を身につけるためにとか、そんなことではなくて、

単純に、とても面白くて、尊いと思うからだ。

***

ノートの落書きは、『板書以外でも、授業で大事だなって思ったことや大切だなって思ったことを自由にノートに書いて良いよ!イラスト使ったり、自分の感想を交えたりしても良いね。』から始まった。



例えば、平安時代の女性の服装をした可愛い女の子の絵。

現代文の授業の家族に必要なものは?という問の答えが、自分の言葉ですみっこに書いてあることもある。

とはいえ、授業に関係なくても、つい楽しみに見てしまう。

日記みたいに週末の楽しかったことが書かれていたり、最近嫌なことが多くて辛いです…とか彼氏が出来たよ!って私宛のメッセージを書いてくれる生徒もいる。

(そして気づかずに返して、生徒からせっかく先生にメッセージ書いたのに…!と怒られることもある!)

ムキムキ筋肉、二本足歩行のパンダがギロリとこちらを睨んでいることもあれば、
ダリ顔負けの奇妙で魅力的なオブジェがあることも。

毎授業ごとに雨の日に恋をした男女の小説を書いている子もいる。さながら連続小説!

こういうものを無駄だと切り離すことが私には出来ない。

授業中の空想、ぼんやりとしながら、考えたこと。ノートの隅っこの落書きは心からぽろりと零れおちたものだと思うから。

もちろん、『ここからは大切だからちゃんと聞いてね』とか『まずはきちんと今言った質問の答えを考えよう』とか、きちんとしないといけない時には声をかける。

***

コロナによる休校への対策やICTの導入が強く求められ、私の務める学校でもタブレットが導入された。

新しいもの好きの私も生徒も、嬉々としてそれを操作して色々試みた。

web上で連絡を伝えたり、課題の提出、アンケートをとって自動で集計したり、動画や画像を多用してイメージを膨らませたり。

教員の業務の効率化は、生徒の学びの効率化でもある。
前向きにもっと良い使い方はないか?考え続けていきたい。

ただ、私が困ったなぁと感じているのは落書きのことだ。

なぜなら、タブレットでデータを入力するときに、入れられるのは答えや必要なものだけが多いから。
効率化にとても向いているものだから。

真っ白なページのすみっこに不要なものを書くということがしづらい気がする。

デジタル書籍より紙の本が良いと主張したり、メールより紙の手紙が良いと主張してきた人達にとても近い感覚なんだと思うけど、決まりきった形の中に収まらない、あの個性的な字体、大きさ、デザインが見れなくなる日が来たならとても悲しい。

ただ、変化を恐れる人ではありたくない。と強く思う。特に、未来を生きる子供たちと関わっているのだからこそ。

タブレットペンを用いたり、最初から自由な記述欄を設けたり…タブレットに慣れていけばきっとそんな余白との付き合い方がいくらでも見つけられると思う。

ノートの落書きは私にとって #未来に残したい風景 です。


だからこそ、
必ず良い方法を見つけたいと思う。
心の中で感じた不要なこと、効率的でないこと、何となく書きたいと思ったこと、そういうものも見つめられる視線を持ち続けたい。

***

授業中のノートの落書きだけではない、今読んでくださっているこの文章もnoteの一部ですね。

仕事にも、お金にも、評価にも、直接的に関係なくても、心の中で感じたことを、掬ってこうして表現出来る場所があって、しかも読んでまでもらえて、とてもとても嬉しく思う。
ありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?