見出し画像

「今日もコピーが書けません」第11話:プレゼンの9割はハッタリ

中堅広告代理店でコピーライターをしているPの元に若手営業Hが興奮した様子で走ってきた。

「Pさん、とれました!とれましたよ!」

「何が?ほくろ??」

「ちがいますよ!C社の競合コンペ、うちが勝ったんですよ!」

広告代理店は年がら年中、コンペに参加している。クライアントは億を超える予算の広告施策を任せるに足る代理店を決めるために、複数の会社を集めてプレゼンをさせ、優れた施策を提案した会社に任せようとするのだ。一見よさそうな取り組みに思えるが、実際は失敗した時のリスクヘッジとして、ちゃんと競合プレゼンさせました、と言うために実施しているという側面もある。ちゃんと相見積もりとりました、に近い。

参加する代理店側としても、競合となると、本当に商品やサービスが売れる案というよりも、派手ですごそうな案、いわゆる「プレ映え」する案を提出しがちである。これは、そんなプレ映えがもたらした騒動の話である。

「そうか〜ついに獲れたか、おめでとう!」

Pはこのプレゼンメンバーだったが、今年が初参加である。営業であるHは、毎年このコンペに参加して、3年目で悲願の獲得、というわけであった。

「でもこれからが大変で…あ、ちょっとお腹痛くなってきた」

Hは顔を青くしている。プレゼンで無茶な値下げでもしたのだろうか。

「実はあの案、タレント事務所のOK出てなかったんです」

「え、それは思い切ったね。どうしても勝ちたかったんだ」

「そうなんです。Oさんもイケイケドンドンで」

Oさんはプレゼンが派手なことで有名なクリエイティブ・ディレクターである。

「出した案は、人気アーティストと人気モデルが、往年の人気曲を現代風にミックスし直して歌って踊るやつだったよね」

「はい、それがそもそもNGで」

「どれがNGだったの?共演?歌って踊ること?曲の使用?」

「全部です」

プレゼンに勝つために、多少ハッタリをかますということは代理店ビジネスをしていると一度や二度はある。クライアントのOKさえ取れれば、あとはタレント事務所に手紙を書くなり、レコード会社に直接説明に行くなり、熱意を持って説得すればなんとかなる、というのが、長年この業界にいるとわかってくるのだ。しかし、絶対にNGなことの線引きは存在するし、そもそも、NGが3つ揃っていることは聞いたことがなかった。

「アーティストは自分が主役じゃない共演はNGで、モデルは歌と踊りはできないって言ってて、人気曲は権利者のOKが出ていません」

「そりゃ、胃も痛くなるな…、ま、後の交渉は君に任せた。今回は後ろから見守ってるから」

Pさんは企画は出すけど、人を説得したりはしない。わかってたけど、なんだか寂しい気持ちになる。気持ちを切り替えて、Hは作戦を練り始めた。

こういう場合、難易度の低そうなところからOKをとっていくのが定石である。Hはまず、楽曲の使用について交渉に赴いた。

音楽出版社の事務所は古く、年季の入ったビルヂングで、エレベーターはのっそりと最上階に辿り着いた。革張りのソファで、同じビルの一階にある喫茶店からとりよせたコーヒーを出してもらう。やたらおいしいのだが、その接遇による小さな借りが、この後の交渉を不利にするようで、Hは複雑な気分だった。

「この楽曲は昭和のものですからねえ。使用していただくのはとてもありがたいんですが、作詞家が替え歌が嫌いでね。歌詞を一切変更しないというのが条件なんですよ」

「歌メロの部分は一切変更しません。ただし、CMなので、この上に語りを入れたいんです」

「ナレーションならOKですよ。できれば重厚なナレーターの方がいいですがね」

「あの、出演者のアーティストが、独特の節回しで語りを入れる、という企画でして」

「なるほど…ま、いいでしょう」

Hは、ほっと胸を撫で下ろす。実際にはバリバリのラップが入るのだが、これが楽曲なのか、CM上の語りなのかは、解釈が分かれるところだ。とにかく、今日のところは言質をとっておく必要があった。

「ただし、楽曲使用料は当初の2倍いただきます」

「2倍…ですか?」

「そりゃそうでしょう。歌詞を変えるな、というのに、ラップが入るんだから」

「お気づきでしたか」

「ま、作詞家にはうまいこと言っておきますよ」

「ありがとうございます」

なんとかなったが、幸先はよくない。金で解決できることにも限度がある。Hは自分の胃が持つか不安になっていた。

次はアーティストである。まずは楽曲使用とラップをミックスするOKが出たこと、クライアントがぜひやりたがっていることなどを当社比3倍の大袈裟な表現でマネージャーに伝え、最後にこうつけ足した。

「それで、バックダンサーとして、あのモデルも共演させたいとクライアントが言ってまして、はい、はい、もちろん、もちろん、アーティストのお二人で充分に、充分に成立はしているんですけれども、今回のコンセプトがマッシュアップですので、主役であるお二人のラップに、往年の名曲、さらにダンスとトリプルマッシュアップで、時代を変えたいと、そう、考えておりまして…」

「…分かりました。本人がOKならいいので、本人に聞きます。まだOKの返事は出してないですからね」

帰り道、Hはキャスティング担当のSに聞いた。Sはマッチングアプリを高速で右にフリックしながら歩いている。器用な人だ。

「大丈夫ですかね?」

「ああ、ありゃ大丈夫だよ」

「なんで分かるんですか?」

「アーティストに聞くとか言ってるけど、CMでの共演で格が落ちるとか、そういうのにこだわるのってマネジメントの方で、本人は気にしてないことが多いんだ。特に今回はさ、あのモデルと仲良いし」

「え、そうなんですか?」

「一緒に飲んでるグループなのは知ってたから、今回のコラボ、本人たちの耳に入ったら動くなって思ってたんだよ」

「さすが、西麻布育ちは違いますね」

「誰が港区生まれだよ」

チャラいSさんの交友関係が、こういうところできいてくるから、この仕事は面白い。

あとはモデルに歌と踊りをお願いするだけだ。Hは希望を感じながら会社へと戻る。心なしか腹痛も治ってきたようだ。

喫煙室で一服していると、マーケの大先輩Mさんがいた。

「よう、なんだかバタバタしてるな」

「Mさん、C社の件、企画書ありがとうございました。あのターゲット分析、クライアントは大喜びでしたよ」

「いいよ、そういうのは。今回は誰がどう見てもクリエイティブで勝ったプレだったよ。」

「そんなことないですって」

「それよりこれからが大変だろ?あんな大風呂敷広げて」

「半分くらいはなんとかなりそうです」

「物事は半分はなんとかなるんだよ。問題はもう半分だ」

エビデンスは全くないのに妙に説得力のあるMさんの説を聞き流し、営業フロアに戻ると、キャスティングのSさんが待っていた。表情はなんだか暗い。嫌な予感がした。お腹に嫌な重さを感じる。

「ダメだって、歌と踊り」

「ええ〜っ!そこをなんとかならないですか?Sさんの力で!」

「まあ事務所サイドはいいって言ってんだけど、本人が壊滅的にヘタクソらしく、絶対やりたくないって言ってるみたいでさ」

「本人が…」

「こればっかりは難しいかな…ヘタクソだとしたらクリエイティブ的にもきついだろ」

「そうですね…ちょっとOさんに相談してみます」

クリエイティブ局は閑散としていて、人は少なく、いてもヘッドホンをして画面に向かっている人ばかり。なんだか緊張するフロアだ。

Oさんは大きな共用テーブルをA4用紙で占有している。テーブルを挟んでプランナーが3人立っていたが、なんだか死刑宣告を受けたかのようにうなだれていた。

「ぜんぶダメ、やり直し。もっと魂が震えるやつ。よろしく」

そう言うと、Oさんは紙をぜんぶテーブルから手で払って落とし、その真ん中に懐から出した紙を置いた。「MADE in SOUL」と書かれている。

「魂で出来ている。この言葉軸で企画。数じゃないから、魂出して。明日13時。よろしく」

そう言って、こちらを見る。

「悪いな、待たせて。C社の件だろ?」

「はい、曲とアーティストはどうにかなりました」

「お前が交渉したの?」

「はい、なんとか…」

「やるな。おまえ、クリエイティブに来ないか。才能あるよ。少なくともこいつらよりは」

プランナー達は卑屈な半笑いを浮かべたまま、その場を去っていった。

「ありがとうございます。その言葉を胸にこの案件を乗り切ります」

「段取りでやるなよ」

「段取り、ダメなんですか?」

「段取りで進めようとする奴は魂がなくなるからな」

「で、モデル本人がどうしても歌も踊りも無理だって言ってるんです」

「あ〜どうにもなんねえの?」

「はい」

「そうか、モデルしかできねえってか」

「はい、そういうことです」

「わかった。クライアントには俺が通す。コンテちょっと変えるから、明日の午後以降でアポ取って」

相変わらず話が早い。その乱暴なやり方で下にいる部下は疲弊するが、その分成長も早いのだ。この仕事はOさんに任せて正解だった。

C社の応接室は、西洋の絵がかかっていた。ルノワールのレプリカだろうか、絵の名前は知らないが、大勢の上流階級が描かれている。社長は、ゆったりとした動きでコーヒーを飲み、Oさんと向き合っていた。

「で、演出を変えたいと?」

「はい。今回はマッシュアップですから、それぞれの得意技をよりブーストさせて、さらにパワーアップさせたいと思って、お持ちしました」

「ふむ、聞いてみよう」

「楽曲にかぶせるラップですが、アーティストの2人が掛け合う形式に変えて、より迫力を増しています。ここはやはり本業であるアーティストにしかできない呼吸でやってもらいます。その間、モデルの彼女は登場せず、期待感を高めます。彼女はパリコレで評論家たちに「1000年に一度」と言われたウォーキングを主体とした新たなダンス『ウォークダンス』をしてもらいます。そしてその周りを踊りながらアーティストが歌います。このマッシュアップで、話題化のさらなる強化を果たしました」

「なるほど、いいんじゃない?で、レコーディングはいつなの?」

社長は娘がアーティストのファンであり、出会えること、そして、サインと写真を楽しみにしていた。それを娘に自慢できるのだ。

Hがすかさず言う。「既にスケジュールに入れさせていただいております。3日後の15:00でございます」

「そうかそうか、ま、よろしくたのむよ」

こうして、歌も踊りもできないはずのモデルは、ウォーキングだけすればよいということになり、Hの仕事は当日のアーティストと社長のツーショットをいち早く印刷、額装して届けることのみとなった。

すっかり胃が爽快になったHは、清々しい気分で目覚め、仕事上購読している新聞に目を通した。一面に大きく書かれた文字列を見た時、また胃袋に鈍痛が復活した。

「C社、不正会計で検察の家宅捜索」

はあ…ため息をついて、TV局へ電話する。

「Hちゃんどうしたの?合コン?」

「ACへの差し替え、C社、大至急」

「なんだよ〜ついてないね、Hも」

転職しようかな…。戸棚の胃薬を探しながら、Hはそうつぶやいた。

ありがとう!Thank You!谢谢!Gracias!Merci!Teşekkürler!Asante!Kiitos!Obrigado!Grazie!Þakka þér fyrir!