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千人伝(二百四十六人目~二百五十人目)

二百四十六人目 ゴーストタウン

ゴーストタウンはゴーストタウンに生まれた。人のいない街だった。かつての人の名残もほとんど消え失せた街だった。ゴーストタウンに迷い込んだゴーストタウンの親は、ゴーストタウンを産み落とすと同時に亡くなってしまっていた。ゴーストタウンが物心つく頃には風化してしまっていた。

ゴーストタウンを育てたのは街のゴーストたちだった。ゴーストタウンには多数のゴーストが住み着いていた。かつての住人やペットのゴーストもいれば、街そのもののゴーストもいた。ゴーストなりに努力して赤ん坊を育てるだけの食物をかき集め、ゴーストタウンを生かした。

一度だけゴーストタウンに生きている人間が迷い込んできたことがある。そこら中に漂うゴーストの気配に怯えながら、迷い込んできた旅人は空腹のために息絶えてゴーストの一人となった。ゴーストたちは旅人の亡骸をゴーストタウンに見せないように隠してしまった。

乏しい栄養でゴーストタウンは半分生きて半分死んでいるように過ごしている。今ゴーストタウンに会うためにゴーストタウンを訪ねても、そこには崩れ落ちた壁しか見ることができない。

※The Rolling Stones - Living In A Ghost Townを聴きながら。


二百四十七人目 誤解

誤解は見えないものをいつも見ようとしていたがうまく見ることができないでいた。見えると思っていたことがそもそも誤解であったから見ることは叶わないのだが、いつか見えるのではないか、見えないものもいつか見えるようになるのではないか、見たことのないものを見ることができるのではないか、と信じていた。

誤解は誤解していた。誤解は誤解し続けていた。見えないものを見ようとしたところで、見えないものは見えないのだ。人は見えるものしか見ることができないのだ。見えないものは見えないものとしてしか捉えることができないのだ。

だがしかし、いや、と誤解は言い張る。見えないものが見えている人もいるではないか、と。ゴーストとか幻覚とか、ゴーストタウンとか幻覚都市とか、と誤解は言い張り続ける。死後の世界とかいうものまで、と誤解は言う。自分を置いて亡くなった両親の顔がすぐそこに見えてもいいはずだ、と。

誤解は両親の死を認めないまま自身も寿命を迎えた。あちら側にいったら、こちら側に出てきて誤解を解いてやる、と誤解は言い残した。だが誰も誤解を見ようとはしなかったので、見えない誤解がそこにいたとしても我々には理解できないでいるままだ。

※BUCK-TICK / 「見えない物を見ようとする誤解 全て誤解だ」を聴きながら。


二百四十八人目 学帽

学帽は小学生の通学用の黄色い学帽を気に入り、小学校を卒業してからも被り続けた。かつて園児だった学帽が学帽を被った途端小学生へと変貌したように、学帽を脱げば小学生であっても別の生き物へとなってしまった。学帽はいつまでも小学生であり続けたかった。いつまでも時間割に縛られて生きていたかった。休み時間には運動場に出て遊びたかった。クラス替えの度に喜びと絶望に襲われたかった。

学帽は中学生になっても高校生になっても社会人になっても、外出の際には学帽を被り続けた。ボロボロになったら新しく学帽を購入した。
「お子さんはいくつですか?」と学級用品専門店の店員に尋ねられても「私が被るのです」と素直に答えた。

学帽はどんな立場に変わろうとも、小学生であり続けた。仕事中にも45分ごとに休憩を取り、ボールを持って屋上へ向かった。夏場は半ズボンで過ごしたし、ほとんどの会社を首になった。

最終的に学帽はオリジナル学帽製作者として名を馳せた。彼の作る学帽は、男子小学生の酷使によく耐え、全国の保護者を喜ばせた。その後大人でも黄色い学帽を被る人が増えた。たくさんの人が首になった。


二百四十九人目 集団登校

集団登校は集団登校が大好きな少年だった。そのまま大人となった。つまり会社へ行く際に、同僚たちを取りまとめて、同じルートで会社まで行くのだった。ルートから大きく外れる同僚には引っ越しをさせた。
つまり会社へ行く途中で既に、必要なミーティングなどは完了してしまえるのだった。必然、作業効率は良くなり、残業もなくなり、業務成績は良くなっていった。

集団登校はそれだけでは満足しなかった。集団下校も開始した。仕事帰りにジムに寄りたい同僚には一駅歩くことで譲歩させた。帰りにパチンコ屋に寄りたい同僚には、歩きながらでもできるオリジナルギャンブルを考案して満足させ、ついでに多額の金をむしり取った。
就業後まっすぐ帰宅するために、小さい子どものいる家庭の妻からは喜ばれ、ギャンブル依存症を克服できたと勘違いした同僚の親からは多額の礼金をむしり取った。

もちろん同僚たちのストレスはかなりのものだったので、多くの者が集団登校から離れていった。集団登校にストレスを感じない者だけが残っていった。やがて集団登校は小学生に原点回帰するために、45分ごとに休憩時間を取り、黄色い学帽を皆に被らせた。結果世界一の企業にまでなってしまった。集団登校が亡くなってからは当然社風も変わり、平凡な会社となったそこでは、集団登校の遺産であるオリジナルギャンブルで破産する人が毎年出ている。


二百五十人目 破れたズボン

破れたズボンの履いているズボンは破れていた。息子の公園遊びに付き合っているうちに破れてしまったのだ。石で作られた巨大な滑り台を滑っているうちに、破れてしまったのだ。大人の体重ではズボンは摩擦に耐え切れなかった。しかし息子は破れたズボンと一緒に滑ることを要求してきた。一人でも滑れるようになったのだから一人でいいではないか、というのは大人の見解である。誰かと一緒に過ごすことで幸せになれるというのが息子の見解であった。

破れたズボンを新しいのに変えたところで、息子が公園通いに飽きないうちはまた破れてしまうため、破れたズボンは開き直って破れたズボンを履き続けた。なんなら新しいズボンを買っても、滑り台に向かう前に自分で破いた。意味などなかった。

その公園の中では、子どもの付き添いで来ている大人のズボンが破れているのは珍しい光景ではなかった。しかし破れたズボンは公園の外に出ても、買い物の際にも会社に行く際にも、親類の結婚式の際にも破れたズボンを履き続けた。息子が大きくなり、公園でも一人でも遊べるようになって父親を誘わなくなっても、頑固に破れたズボンを履き続けた。

そんな破れたズボンを不審者として通報する者たちまで現れた。通報者たちは通報者たちで、集団で黄色い学帽を被って、会社や自宅まで集団で移動する者たちであった。かくして破れたズボンと学帽集団は衝突することになる。結果、学帽集団の履くズボンは全て破られた。破れたズボンは、頑丈な学帽を破ったズボンの数だけ手に入れた。夜中に公園の巨大な滑り台に上った破れたズボンは、それらの学帽を全て投げ捨てた。一人であった。息子は家で一人でお風呂に入れるようになっていた。


※息子がついに小学校に入学。園児を小学生へと変貌させる黄色い学帽の魔力に驚きました。滑り台に付き合うとすぐに破れてしまうズボンは、あらかじめリサイクルショップで買った500円のを履いてます。自分からは破ってません。



入院費用にあてさせていただきます。