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千人伝(二百六十一人目~二百六十五人目)

二百六十一人目 石弦

いしづる、とも、せきげん、とも呼ばれる、弦楽器に張る弦のようになるまで、石を削って作る楽器がある。その演者であった。いしづる、と、せきげん、という二人組であったが、混同して一人と思われることが多かった。

その特殊な製法により、一個の石弦を完成させるためには数十年の月日を要した。弦が一本切れてもその修復に数年かかってしまう。繊細な演奏力を必要とするため、石弦と石弦の二人は何も壊さないように、常に何かに触れるか触れないかの距離で過ごした。愛情の交歓もそのように行われた。

高齢となった二人の最後の演奏の後、石弦は全ての弦が切れてしまった。修復するまでに二人の命はもたないことは明白であった。それでも無責任な観衆は他の弦楽器を二人に渡して、美しい音色を求めた。しかし石弦演奏に特化しすぎていた二人の指は、他の弦楽器に触れるとたちまち十指全てがちぎれ落ちてしまった。


二百六十二人目 車輪雅

車輪と楽器を両立させた古代楽器「車輪雅」を現代に復活させた技術者は自身の名も車輪雅と改めた。車輪雅は車の標準装備となり、電車にも採用され、ガタンゴトンという走行音は全て音楽に置き換えられた。

車輪雅は次は虫の鳴き声を全て音楽化する音響装置の開発に取り組んでいたが、「虫の声は既に音楽である」という一派の破壊工作により研究は頓挫してしまった。

全ての車が音楽を鳴らすため、交通渋滞時の騒音が新たな問題となっている。


二百六十三人目 生鳴

せいめい、と読む。赤子の産声だけを録音してサンプリングした楽器を作ったが、それだけでは満足できなくなり、「音は自ら生むべきである」と結論づけた彼女は、自らの胎内で音を育てた。命に音を宿したのではなく、音に命を宿した。彼女の胎内で生まれた音たちは内部から生鳴を鳴らし、彼女は一つの楽器であり演奏者にもなった。彼女は自分と同じ思想を持つ者を集めて楽団を作りたかったが、その夢が叶うことはなかった。


二百六十四人目 音雨

音雨は旋律を伴って降る雨を愛した。そのような雨はごく限られた地域の僅かな期間しか降らなかったが、彼の両親が音雨を求めてそこに移り住んだため、一年に数回は旋律に触れることができた。両親は音雨を愛するあまりに、息子にも音雨と名付けていた。

音雨は音雨の旋律を書き留めていたが、他の楽器で鳴らしたところで、音雨に感じられるような美しさを感じ取ることはできなかった。音雨の降っている間に、音雨に打たれなければ、その旋律の恩恵は受けられなかった。

ある年の最初の音雨の日に、彼は自分の隣で濡れる女性を発見した。彼女は必死にその音を書き留めようとしていたのだった。無駄なことだと教えたかった彼は彼女の肩に手をかけたが、振り払われた。その時に大きくなった鼓動が、初めて音雨の伴奏となった。

しかしその後音雨は二度とその伴奏の演奏者となることはなかった。


二百六十五人目 無音

無音はあまりに過敏な聴覚を持っていたために、日々世界中で増大する音に耐え切れなくなり、自ら聴覚に蓋をした。結果無音になった世界で彼は音楽を楽しむことも、人の声に励まされることもなく過ごすこととなった。それで不幸だったかといえばそうではなく、彼にとってはどのような音も苦痛となっていたので、無音こそが喜びであった。

だが鋭敏すぎる聴覚は、彼の目に宿った。見えた景色から音が聞こえてくるようになった。目を通して脳に響いてくるようになった。かつて記憶した音が、幻聴として頭の中で鳴るのだった。耳に蓋をしても聞こえてくるそれらの音から逃れることはできず、無音は目も塞いだ。しかし嗅覚も味覚もやがて音を伴いだした。

最終的に全ての感覚に自ら蓋をした無音だったが、彼の脳は無音に完全な静寂を許さず、耳鳴りを鳴らし続けた。無音は気を紛らわすため、耳鳴りを潰すために、わずかに動く指先で文字を記し続けている。

※いくつかは架空書籍紹介シリーズ「石弦共奏-架空楽器アンソロジー-」より



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