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「『ウミジゴク』界隈」

「新しい民話を創生する会徳島支部」の白井から連絡が途絶えた。
「共著者の都合により締め切りが延びました」「振り込みが確認出来ていません」「進捗状況の報告よりも先に振り込みをお願いします」「申し訳ありませんこちらの都合により、締め切りは来月に延びました」しつこいくらいに締め切りが延期になったというメッセージを寄越してきていたのに。その都度私は完成した原稿に手を入れて、規定枚数を超過していった。

「全国の民話を一新する目的で作られた」という胡散臭い会の、「登録料三万円を振り込めば、今後シリーズ化して半永久的に売れ続けるであろう電子書籍の執筆者の一人となれる」という詐欺に違いない執筆依頼に、どうして私が乗ったかというと、書きたかったからだ。依頼文を読んだ瞬間に思いついた、徳島名物である鳴門の渦潮を題材とした民話風の話に、書き出す前から惚れ込み、傑作に違いない、たとえ詐欺まがいの出版物であろうと、数多の共同著者の中から、自分だけは光り輝き、教科書に採用され、世界共通の物語としての地位を確立するであろう、という思いがあったからだ。作品を送り付けてしまえば、白井も「登録料などいりません」と言ってくるであろう、という確信があった。

 そうこうしているうちに、「新しい民話を創生する会大阪支部」の新井という人間が逮捕された。容疑はやはり詐欺で、「本に掲載させてあげるから登録料を振り込んでください」といった内容のメッセージをばらまいていたそうだ。依頼者の一人が企画の実在を疑問に思い警察に連絡、新井容疑者は「まだ完成していないだけで、出版の意思はある」と容疑を否認しているという。数十人からの振り込みが既にあり、作品も集まっているとか。
 まあそれは大阪支部の新井の話だ。徳島支部の白井とは関係のないことだろう。全国にまたがる大きな組織なら、末端まで管理しきれず、問題が起こるのは仕方のないことだ。白井からのメッセージが途絶えたことは、より一層の締め切りの延期と受け止めて、私は自作民話『ウミジゴク』に新たに手を入れることにした。

 繁殖の季節に遅れて羽化し、同族に一度も出会えずふらふらと飛ぶばかりとなった一匹のウスバカゲロウが、海にまで出て溺れてしまう。海に沈む身体は若返って幼虫のアリジゴクの姿へと変貌し、巨大化していく。海底に穴を掘り、巨大な顎を振り回し、渦巻きを作って魚や漁船や海で泳ぐ人間やらを呑み込んでいく。渦潮の発生起源は海底にいる巨大なアリジゴクだという、話の大筋はそんな具合だ。

 細部を付け加えていく。地上をフラフラと飛んでいるウスバカゲロウに話しかける別種の虫たち。たとえばジョロウグモがウスバカゲロウのあまりのみすぼらしさを哀れに思い、巣に引っかかりそうになったところを、巣の隙間を広げて見逃してやる、といったこと。ウミジゴクに引きずり込まれそうになった一人の漁師が、このような目に遭うのは、魚や貝やらを捕りすぎてきたせいだと思い、泣いてそれらに許しを乞う場面。ウミジゴクはそんなことは一切関係ないから気に病む必要はない、と漁師をなだめ安心させた後、毒液を漁師に注入して漁師の身体の中身を食らう場面。

 依頼された原稿用紙十五枚分を徐々に徐々に超過していく作業に、愉悦を感じつつもある。組織の同僚が逮捕されたことで、締め切りはまた延びたはずだ。詐欺だと認められ、大阪支部の新井が起訴されたり、あるいは岡山支部の誰それだとかが逮捕されれば、少なくとも彼らが刑期を終えるまで締め切りは延長されることだろう。私が登録料を振り込まないことを責めることなんてもう出来ないに違いない。だから私はまだまだ書いて構わないに違いない。

 次に私は「ウミアリ」というアリを登場させることにする。海中プランクトンの一種で、地上のアリと似た姿である。海中でわざわざ地上の虫と同じ形に進化する理由は不明であるが、そんなもの、人間だってわざわざ今の姿かたちを取っている明確な理由も、決定的なものはないであろうから問題ない。人間がアリの形であったり、アリが人間の形であったりする世界だって、我々の知っている世界のすぐ隣にあるかもしれないのだから。

 ウミアリは青、白、黒、緑、赤、と様々な色の個体がいる。それらは全て同種である。個体の色は生まれた環境により決定するが、後天的に変化する場合もある。敵に攻撃された瞬間に、黒が赤に、緑が青に変化することもあるという。私はウミアリの細かな生態の描写が『ウミジゴク』には全く必要がないと気付きながらも、更にウミアリを掘り下げていく。家庭でウミアリを飼育しようとする、顕微鏡マニアの少年の話を挿入する。少年の試みはことごとく失敗に終わり、顕微鏡のレンズの下で観察されるウミアリは、どれもこれも地上のアリと同じ黒に変色し、息絶えていく。生命活動を終えてしまうとウミアリはすぐに溶解してしまうため、そこにウミアリがいたという証拠すら残らない。少年の父はウミジゴクに呑み込まれた漁師であるが、作中ではそのことは伏せることにする。もちろん、伏せることに何の意味もない。

 三ヶ月ぶりに白井からメッセージが届くが、意味の分からない英文だけが打ち込まれていた。スペルがところどころ間違っているので、訳すことすら出来ない。雰囲気的に「民話」「神話」「伝説」といった単語のなり損ないが散りばめられているようだ。白井のパソコンの不調か、誰かにアカウント乗っ取られでもしたのだろう。とにかく明確な締め切り日の設定や、振り込み強要ではなさそうだったので、私は何も振り込まず、また『ウミジゴク』に文字を付け加える作業に戻っていく。

 視界の隅にアリが這い回るようになった。赤いアリが。黒いアリが。青いアリが。白いアリが。緑のアリが。寝起きによくある。仕事中にもよくある。倉庫内でフォークリフトを運転している最中に、頻りに目をこする私を上司が心配している。
「アレルギーか」との問いに「アリです」とは答えない。上司には見えないアリの話をしても仕方ない。頻繁に通る床にある凹みを見て、私はその底にウミジゴクがいる妄想をする。割れ目から顎の先端が見え隠れしていると思ったら、ダンボールの切れ端が引っかかっているだけだった。ゴミを取り除かずに避ける私を同僚が怪訝な目で見る。彼の足元にはひび割れたコンクリートではなく、海が広がりはじめている。

 老朽化のせいか、虫が入るのを防ぐためのエアーカーテンからの風が弱くなってきているため、飛翔性の昆虫が倉庫内に増えてきた。弱々しい印象のウスバカゲロウまでもが平気で飛び込んでくる。中には一メートルを超すような大物すらいる。はたき落として掃除するだけでも一苦労である。秋を過ぎて寒くなっても虫の飛来は止まないから、私一人だけが虫退治を続けている。床のひび割れが渦巻き状になっていく。新人が入ってこず、結果的にベテランだけの職場では、誰もが器用に渦巻きを避けるので、事故は一件も起きていない。

 仕事が終われば私は『ウミジゴク』の執筆に取り組む。一組の老夫婦の成り立ちを説明する。彼らに初めて授かった子どもは、古い寺で遊んでいる最中、巨大なアリジゴクに呑み込まれた。以来彼らは全国の寺社を巡り、アリジゴクを潰してまわったことから、昆虫学者と対立して、多くの血が流れることとなる。しかし地下でアリジゴクによって育てられた少年が現れ、父母と抱擁する。感動的な再会も束の間、少年はウスバカゲロウのような羽根を生やし、空へと舞い上がっていく。羽根は彼を支え切れず、やがて海へと落下する。もちろんそこはウミジゴクの作った、渦潮が荒れ狂う海である。少年は赤ん坊の姿へと戻りながら、ウミジゴクの仲間入りをしてしまう。息子を再び失った夫婦は、また全国の寺社を巡り、巨大なアリジゴクの巣に潜っては、アリジゴクに攫われた他の子どもたちを救出していく。

「新しい民話を創生する会大阪支部」の新井が留置所から脱走した、という知らせは警察の不甲斐なさを嘲笑う目的で話題となった。その後、警察内部に新井に対する協力者がいたこと、脱走後も別の協力者の手により、支援がされていたことなどが明らかになっていった。「依頼執筆者」と言われ、詐欺の被害者であると同時に、協力者である彼らが新井を支援するのは、自分たちの作品の出版を願ってのことだと思われた。会はどうやら依頼者の住所を全て把握しているらしい。ネットのニュース記事で見たのと同じ顔の、大正時代の文学青年のような暗い面持ちの新井が私の元にやってきた時に、そう教えてくれた。仕事帰りの私を、玄関で待ち伏せしていた新井は「登録料をまだいただいていませんが」と切り出した。

「私は徳島支部の白井から依頼を受けているので」
「我々は同じ会でありますから、白井に渡すのと同じことです」
「しかし手元に三万円がありません」
「ならば一晩泊めていただけませんか」
 しかし新井は二週間私の部屋に留まり、「サイズが合ったから」と言って私の衣服をそのまま着用し、財布から小銭をちょこちょこ着服し、日々の食事を加えれば、結局三万以上の出費となってしまった。その代わりに私は日々膨れ上がっていく『ウミジゴク』の内容を彼に語った。「そちらの話は白井としてください」と言って、新井は目を瞑ってすぐに寝息を立てた。
 もう君に食べさせるだけのお金がない、と伝えると、素直に新井は家を出ていった。そのようにして全国の執筆依頼者の元を巡っていくのだろう。直後白井から「振り込みお願いします」というメッセージが届いた。白井の無事を確認して安堵した私は、もちろん振り込みなどせず、『ウミジゴク』に新井を登場させ、無惨な最期を遂げさせた。

 アリは視界の隅から飛び出して、私の身体の表面や職場の床・壁・天井を埋め尽くすようになった。フォークリフトの車輪や靴がそれらを潰していくことにも慣れた。少しずつ変化すればどのような異様な状況にも慣れていくようで、同僚でアリたちのことを不思議に思う人はもういない。荷物に虫が付いているというクレームもないのは、一歩倉庫の外に出てしまえば、アリたちに一斉に羽根が生えて空に飛び立っていくからだ。

 新井の消えた部屋の中で、新井に語った構想を元に『ウミジゴク』に文字を積み重ねる。巨大化を進めるウミジゴクは海底を掘り進めると同時に、自身の身体で周囲を埋めていく。海中のあらゆるものを吸い込み、地球を食い尽くして、もはや星そのものとなっていく。ウミジゴクの表面を這いずり回るだけの、我々人間を始めとした生命は、いつ呑み込まれるか分からない日々の中、それなりに楽しく過ごしていく。気を抜くとすぐに羽根が生える。飛んでしまえばすぐに落ちる。落ちてしまえばウミジゴクが待ち構えている。

「新しい民話を創生する会」の執筆依頼者たちは、もはや会に頼ることなく、自分たちの書き上げた作品を各地で発表し始めている。大阪支部からの依頼者たちの動きがやはり活発で、「地獄のお笑い芸人」「空飛ぶビリケン」などといった紋切り型のものから、新井との愛の逃避行を書いた、もはや民話と何の関係のないものまである。新井はあらゆる土地に出没し、偽物も多数現れたため、あらゆる創作の素材とされてしまっている。

 白井からのメッセージに「下着いつ返したらいいですか」というものがあったが、直後に「間違えました」と続いた。私が下着を渡したのは、というか履いたまま逃げられたのは新井である。私はしばらく下着を履いていない。下着のあるべき部分はアリで覆われてしまっているが、かゆいことにはすぐに慣れた。だから『ウミジゴク』の登場人物たちの下着も全員脱がせた。

 新井の二度目の訪問を受けた際に、隣の部屋に住む老夫婦に新井の顔を見られてしまった。死ぬ直前の芥川龍之介のような顔つきになってしまった新井は、もう何もかもどうでもいいという態度で、私の語る、膨れ上がりすぎた『ウミジゴク』のあらすじを聞いていた。彼の衣服に泥や血が付いていたので脱がせ、安物の黒キャミソールを渡すと、するすると着こなした。パトカーのサイレンの音が近づいてきた。
「三万」新井はもはや単語で金を要求してきた。
「六百円しかない。全部はやれないから半分な」
 私は財布から出した五百円玉を一枚、新井の足元に投げた。
「半分になってないんだが」
「五百円玉一枚と百円玉一枚しかないから仕方ないだろ」
 ありがとう、と言って黒キャミソール姿の新井は五百円をどこかに入れようとしたが、入れるところもなく、口にくわえた。同時に私の部屋のドアが破られ、外から入り込んだ濁流が新井を呑み込んだ。それはしょっぱい海水であった。ぐるぐると回る激しい渦潮の中に、新井と警察官たちは消えていった。

 その後白井からのメッセージは来ない。
 だから『ウミジゴク』はまだまだ膨らみ続けている。

(了)


阿波しらさぎ文学賞応募作、落選作。
選考委員が現役作家で一番好きな吉村萬壱氏。公募はここしか書いてないけれど、二年続けて落選。


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