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「WALK」「WALK!」「WALK」#シロクマ文芸部

「ただ歩く」のプレイリストを作りながら、昔のことを思い出していた。高校時代にバンド活動をしていた頃のことを。思えば活動歴なんてその頃の数年間に過ぎないのに、いまだにバンドマン面しているようなところがある。今では楽器演奏禁止のアパート住まいで、ギターも押入れの奥にしまわれたままだというのに。

 1996年。
 バンド活動が盛んな高校に通っていた。軽音部があったわけではないが、音楽活動が好きな教師がおり、秋の文化祭と、春と秋に行われる「若人の集い」という何だか恥ずかしい名前のイベント名で、視聴覚室を借り切って、有志によるライブを開催してくれていた。アンプなどの機材は楽器屋さんが提供してくれており、音響チェックなどもしてもらっていた。中心となった教師は、学内に配られる季節報の中で、ディープ・パープルのライブ鑑賞記を連載するような人だった。私自身の活動といえば、二年中盤まではふらふらとあちこちでギター、ドラムをやり、二年時に同じクラスの仲間でミッシェル・ガン・エレファントのコピーバンドを組み、そちらがメインの活動になった。途中で文学少年に転身した私の音楽活動は、卒業+αまで続けはしたが、本格的なものにはならなかった。

 一年生の文化祭の時に、衝撃的なデビューを果たした三人組がいた。当時のライブではザ・イエローモンキー、GLAY、BON JOVI、LUNA SEAなどのコピーをするバンドが多かった中、その三人組はPANTERA「WALK」を演奏した。

 その他には放送禁止用語満載の「ドレミの歌」のヘヴィな替え歌や、クラスメイトの名前を連呼するパフォーマンスなど。ギター&ボーカルの髭面坊主、セックス・ピストルズだかランシドのメンバーのようなパンクスタイルのベーシスト、一人素朴な野球部のキャッチャーのようなドラマー(後にミッシェルのコピーバンドのドラマーも兼ねる)。たまたまビデオ撮影係にあたっていた私は、ビデオ片手に「なんだこの人たちは」と驚きながら、「WALK」のリズムに合わせてズームアップを繰り返したりした。

 その後バンド仲間の間では、「リー! スペクト! ウォーク!」という歌詞に合わせて胸に手をあてるパフォーマンスが流行した。PANTERAの日常化という異様な光景が当たり前のものとなっていた。

「WALK」の彼は本格派の一人であった。後にCDデビューしたり、長く音楽活動を続けている人もいる同世代の中でも、飛び抜けた存在であった。後にそういった「本格派」の人たちが組んだバンドに、マッドカプセルマーケッツのコピーバンドもあった。「WALK」の彼はそのバンドでマッドの「WALK!」も歌った。当時「4 plugs」という名盤が聴き回されていた頃だった。高校三年間の様々なステージの中で、演奏レベル、客席との一体感、私の好きな曲の多さ、一回きりだった、という点で、ベストステージだったと思う。演奏する側でなかったことも、純粋に楽しめた一因でもある。

 その後本格派の方々で組んだレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのコピーバンドで市のコンテストに出場したりしていたが、過激なパフォーマンスで審査員に怒られたりしていた。三年生の時に突如仲間内で流行したX JAPANのコピーバンドでは、ステージに多数の観客が上がり、ステージが一部崩壊した。

「若人の集い」は土曜に行われていたので、完全週休二日制の導入と、前述の名物教師の転勤により消滅したそうだ。

 高校卒業後、突如「WALK」の彼に誘われて、NIRVANAのコピーバンドにベースで参加したことがある。本格派の方々はそれぞれのオリジナルバンドで活動をしており、暇そうな私が誘われただけのことだ。借り物のベースで「先輩にただでもらった」という軽自動車に乗せられ、練習スタジオに数回通った後、ライブハウスで一度だけライブをした。「何故今NIRVANA?」と思いはしたが、後述する理由により、彼は半分涅槃(NIRVANA)に入っていたのかもしれない。

 それから長い年月が経ち、バンド活動は完全に過去の物となり、私は就職して結婚して子どもが出来、忙しない日々を送っていた。子どもが幼稚園に通い出した頃、少し時間が出来て、再び音楽によく触れるようになっていた。昔好きだったアーティストの、聴いていなかった時期の曲を漁ったり、かつて解散したバンドが再結成しているのを知ったりした。そんな中で特別な印象を残した曲が、Foo Fighters「WALK」であった。Foo Fightersのボーカルのデイブ・グロールは、かつてNIRVANAのドラマーであった。「死にたくねえ、死にたくねえ、絶対に、絶対に!」と叫ぶ歌詞は、猟銃自殺した盟友カート・コバーンに向けて書かれたものに思えた。私はその曲を糧にして、当時始発から終電まで、といった勤務形態の時もあった、当時の職場へと、歩みを進めていた。現実逃避から、昔の知り合いの名前を検索して、「WALK」の彼が全国放浪した後に悟りを開き、シタール奏者となっているのを知ったのもその頃のことだ。

「悪童イエス」という作品を以前書いた。

 歌うイエス、ギターを弾くユダ、踊るマリアの組み合わせで、毛皮のマリーズやらNIRVANAやらMUSEやらを作中で演奏させている。終盤、全人類の罪を背負ったイエスは、NIRVANAやリンキンパークばかりを歌う。

「その歌じゃない、イエス」とユダは呟いた。暴徒の群れの中に彼は居た。イエスは引きずりだされてもなお、「All Apologies」を口ずさんでいた。彼を囲む群衆を挑発するように。
「死にたくない、って歌えよ」ユダは自分の言葉が祈りの響きを帯び出した事に気付いていない。
「Foo Fightersの『Walk』を歌えよ」俺は死にたくない、永遠に、と叫ぶ、カート・コバーンに向けて作られたその曲のイントロをユダは頭の中で弾いていた。しかしイエスは違う曲を選んでしまった。
 手首にロープを巻かれ、引きずられて歩きながらイエスはLinkin Parkの「Numb」を歌い始めてしまった。イエスに合わせて歌う者はいない。誰かが投げつけた石がイエスの額に当たり、血が流れるがイエスは気にせず歌い続けた。何もかもが嫌になってしまった、あんたの思い通りに生きるのはごめんだ、と歌っていた。
「チェスター・ベニントンも死んだ! イエス、死ぬな! 生きて醜く老いて、枯れた声で歌え! 同じようにくたばり損ないになった俺が傍らでギターを弾いてやる! ゆったりとしたブルースでも、ひたすら愛について歌う眠たいバラードでも! それじゃ駄目か、イエス! どうして自殺した奴の歌ばかり歌うんだ、イエス!」
 

泥辺五郎「悪童イエス」12.All Apologies/Numb/Walk より

 ユダは腕を折られてしまうが、ギターを求めて歩く。私のギターは相変わらず押入れに眠っている。

 節目節目に現れる「WALK」を軸に思い出を綴ってみました。二、三年前の感覚で思い出せる高校時代が、もはや二十数年前という事実に驚いてしまう。歩いてきた。まだ歩く。

「ただ歩く」だけの小説でいうと、古川日出男「サマーバケーションEP」がお勧めです。

  シロクマ文芸部「ただ歩く」に参加しました。



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