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讃岐二ノ宮・大水上神社

行ってきました。
色々と凄いところでした。

遣唐使として旅立って前の空海を励ます歌が残されております。

とりあえず列挙します。
・3000年前の土器が出土している
   ※それも食器ではなく祭祀用
        当時金の100倍以上の価値のあった朱の装飾をしている。(祭祀用なので使い終わったら捨てる。そんなものにもしっかり装飾できる財力のある王様がいた)

・境内を宮川という川が流れているが、実際に占いで川の水を堰き止めて、魚をとって占いをしていたらしい。

・一応、祭神は大山祇となっているがアマテラス、イザナギ、イザナミも

・奥社部分の寄付者がなぜか女性ばかり

・1580年代前半の長宗我部氏四国統一戦の痕跡残っている

・磐座あり。太陽信仰の痕跡あり。

作りが簡素なのは湿気ですぐ壊れるからだとか。 

・敷地が1万坪

などです。

以下、私と宮司のやりとり

Q私 
A宮司

Q.なぜそんなに水銀が扱えるほどの勢力だったのか?近くに麻の着く地名多いけど大麻で稼いでいたの?

A.普通に麻はどこにでもあった。岩清水系の八幡なので減税が凄かったらしい。宇佐系の八幡は減税がない。

あとはやはり空海の行くところに水銀あり

あとは紫雲出山にストーンサークルがあったとか、昔は海岸線がもっと遠かったとか

上り窯だけど、元々は宗吉の窯が凄かったけど、運んで来るのが面倒なので作っちゃったと思われる。しかも長方形ではなく、、扇形。
そしてここで焼いたものが国分寺で発掘されている。


・水銀を大量に持ってる
・占いに掛ける手間と金がハンパない
・鉄器扱っている 
・磐座作っての巨石太陽信仰
などとても強い勢力がいたと思われます。

ほんとに3000年前は祭祀の場所だったのでしょう

すごいトコでした

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