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日本人と和

クイズです。次のうち「和」はどれでしょう。
❶:多数決を取って、Aが過半数を占めた
❷:みんなで話合い、満場一致でBに決めた
❸:ディベートでCがDに勝った
❹:意見を出し合い、妥協点としてEという結論でまとまった。
❺:意見を出し合い、Fという意見を導いた

ちょっとしたニュアンスの違いなのですが…
正解は「❺」です。
ちらみに❶、❸、❹は「同」、❷は「ムラ」であるそうです。
違いがわかりますか?


「和」とは何か

聖徳太子が17条の憲法で筆頭項目(第1条)に設定したくらい和とは大事なものです。では「和」とはなんなのでしょう。

和とは本来、和平や講和の「和」で、軍門の前で戦争の終結を誓い合う儀式を表す感じでした。元々はもっと難しい感じで、様々な音程を持つ笛を一緒に吹き、調和を見出すことを意味します。
人間関係で言えば、様々な意見を持つ人が集まり、調和を見出す。

ここで大事なのは「妥協点」を見出すのではないということです。
孔子は「君子、和して同せず」と言いました。
同とはなんでしょう。基本的の冒頭の問題の❶〜❹は「同」です。
現代人の「和」は「同」の意味で使われていることが多いです。

「和」とは本来は「三人寄れば文殊の知恵」のようなものです。
誰も考えていなかった結論が超自然的に生み出されるような場を創出するのが「和」の議論の場です。

ヒルマン監督の和

日本の人々は謙虚であることを美徳と思っているようだが、本当の意味での謙虚さとは『本音』を言うことである。」「人それぞれに考え方はあるかもしれないが、チームとして決定したことに全員が同じようにエネルギーを注がないと『和』が生まれない」

ヒルマン元日本ハムファイターズ監督

ヒルマン監督の話はまさに冒頭の問題の❺です。日本人以上に「和」のことをわかっていますね。ただ後半は少し「同」な感じもしますね。

道徳という「同」

抽象的だとそれが容易に「べき論」になってしまうと言う話を以前しました。

代表的なのが新撰組で1人1人の「誠」の定義が曖昧であったため、組織分裂してしまいました。
今日の道徳もふわっとした善意のおしつけになっているようです。

20世紀の人たちは大きな勘違いをしてしまった。それは「人間が育っていくためには学習が大切だ」というのを、「人間を育てるには教育が大切だ」と思い込んでしまったことだ。

日高隆敏の口説き文句

学習とは好奇心で自発的に学ぶこと。
教育とは予め定められたプログラムに則り、基礎から順に進めていく。
教育によりいつの間にか日本人は思考停止人間を量産してしまったようだ。

特に道徳教育だ。
道徳教育というのは子供の頭に対して、善/悪の2元論を道徳というマニュアルにして叩き込む試みでこれは権威主義的良心を強化するだけである。道徳教育が生み出すのは服従的精神を持った「心」の弱体化した人間か、道徳の刷り込みに対して健全な「心」が「反抗」する荒れた状態の人間のいずれかだ。

わが国の学校という場において、「社会性を身につけさせる」「集団行動を身につけさせる」という名目でおこわれる教育は「ムラ的共同体」でいかに「良いムラ人」になって適応するかということである。
それはすなわち、いかに個性を抑圧して個人として突出しなう従順な人間になるかを叩き込まれるということでもある。
「社会性を身につけさせる」「集団行動を身につけさせる」という言葉で指導者が自分たちのエゴを正当化するようなことは「エゴを正当化」するような人間を教育になってしまっている。


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