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グリーンブック

「この街は、最初の一歩を踏み出せない寂しがりやだらけだ」

何がしかの差別意識は、誰の中にもある。あまりにも当たり前すぎて気付いていないだけで。気にしすぎて腫れ物扱いすることも差別になるし、悪気のない冗談のつもりの一言だって、言われた方は傷ついたりする。

でも知ることによって、思い込みは緩む。そして、その緩みの過程は無意識のうちにも進行している。国語の試験を受ける時、最後のエッセイ問題を最初に読んでおいてから、試験の頭に戻って問題を解く。解き進める間にも、頭はエッセイについて考えており、いざエッセイ問題に到達したら、もう随分と思考が進んでいるように、相手を知る一歩を踏み込むことによって、思い込みからの解放は潜在意識で進んでいる。

「品格は、最後に必ず勝つ」

その言葉通り、牢屋にいようが、相手が失礼な物言いをしようが、ドクターは前をまっすぐ見たまま、頭を垂れない。声も荒げない。受け入れる時は受け入れ、淡々と主張すべき時は主張する。自信満々で、「南部のしきたり」を上品ぶって押し付けてくる方が、醜悪で俗っぽく見える。

南部で小中高を過ごしたから、分かる。この差別は未だに存在する。これまで差別されてきた者が、差別できる人を探すように、差別者と被差別者の連鎖は続いている。様々な事象が表面化しやすく、分かりやすくなくなってしまった分、奥に秘められた見えない差別感は昔よりも厄介かも知れない。

でも知ることで、それはきっと緩む。そう信じたい。わたしにできるのは、わたしの目が届く範囲内で、わたしが知る努力を怠らないことだけだ。

懐かしい訛りと、あんまり思い出したくはない思い出とが、綺麗な音楽と一緒になってモニョモニョする。

「十分日本人じゃない」「十分アメリカ人じゃない」

狭間の人間は、どうしたらいいっていうんだろう。

でも、それでも、知ることが、大事。



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