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ブラック・クランズマン

"If I am not for myself, who will be? If I am for myself alone, who am I?" (自分が自分を生きなければ、誰が生きてくれる?自分のためだけに生きる人間は、人間と言えるだろうか?)

グリーンブックが知性や品格で差別を乗り越える希望を語っているとしたら、こちらは否応なしに、差別意識が生み出す人間の残酷さを生々しくあぶり出す。昨日、自分が書いたものが砂糖菓子みたいな甘々理想主義みたいに思えてくる。あんたはただ通りを歩いているだけで背中から撃たれる恐怖なんて、感じた事はなかっただろう?と。

アーリア系純粋白人WASPが優性遺伝子人種であることを信じて疑わないKKK (クークラックスクラン)組織に潜入捜査を行った黒人警官とユダヤ人警官の事実に基づく物語。

潜伏警官であることがばれないよう、主人公の黒人警官が、黒人を汚い言葉を羅列して罵倒し続ける。見ているこちらが息が出来ない。こんな風に罵倒された経験があるのだろう。自傷行為のような巧みな言葉の刃は、KKKの幹部連中を安心させる。表向きには痛みを一切見せず、警官は潜入に成功する。

ユダヤ人相棒も同じ。ホロコーストなんて無かった、あれはユダヤ人の作り話だ、と全てを無かったことにするKKKの過激なメンバーに対して、堂々と言う。「無かったことなわけがない。あんなヒルみたいな奴ら、根絶やしにされて当然だ。あれほど崇高な行為はなかったんだ」

その後、相棒の警官に対して彼は言う。「今まで、自分がユダヤ人だと思ったことはなかった。でも今はその事実が頭から離れない」

自分とは関係ない、という客観が、主観になった瞬間ではないかと思う。

潜入捜査自体は成功に終わる。だが、そこで終わらせないのがスパイク・リー監督。作品自体は1972年に設定されているが、この話は、過去の物語などではない。現在の話だ。事実のフッテージと共に、差別の現状を突きつける。

何人であれ、何宗教であれ、わたしはわたしである。でも、わたしだけでは生きていけない。自分の主張だけで生きていけるわけはない。だから、やっぱり知ることが、平和への一番の近道だと思う。「And if not you, who?」(お前が知らなければ、誰が代わりに知ってくれる?)

巡り巡ってこの思いに結局は行き着くけれど、そんな考えは甘っちょろいと言われても仕方ないような現実もある。その声も否定せず、それすらも丸っと受け止められるようでありたいと思う。

余談だが、主役のジョン・デイビッド・ワシントン、デンゼル・ワシントンの息子なんだ!というのもびっくりした。彼とアダム・ドライバー、素晴らしかった。

なんかもう... 書くことで追体験するだけでもしんどいや。





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