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消えても構わない人なんて誰もいない: 「Dear Evan Hansen」

You will be found

Dear Evan Hansen (拝啓、エヴァン・ハンセンさま)

アスペルガー症候群か、極度緊張症の高校3年性のエヴァン・ハンセンは、セラピストに治療の一環として毎日、自分を勇気付けるような手紙を自分宛てに書くように言われる。でもエヴァンには書けない。どうやって自分を勇気づけたらいいのかが分からない。いいことなんてあるのかな。何も上手く言えないなら、何も言わなければいい。そうすれば、対人恐怖症もバレないし、バレなければ気づかれない。少なくとも嫌われることはない。

彼の苦悩を走り書いた手紙が、ひょんなことからドラッグ問題を抱えた同級生コナーに奪われてしまう。手紙を同級生にバラされたらどうしよう、とエヴァンが悩んでいた矢先に、コナーはその手紙をポケットにいれたまま、自殺してしまう。

それを発見した両親は、Evan Hansenという息子の唯一の友人に宛てた遺書だと思い込む。友人なんて一人もいないと思っていた息子には、実は友人がいた!生前の息子は、どんな顔を友人にはみせていたのか?ずっと疎遠だった息子について、両親は知りたがる。エヴァンはつい、コナーと過ごした楽しい日々をでっちあげ、両親に語ってしまう。秘密のメールのやり取りもあったと、幼馴染の助けを借りて偽造メールを山盛りこさえてしまう。彼は自分の存在意義を作り出してしまう。もういない同級生を使って。

そんな最中、コナーを偲ぶ会でエヴァンは発言する。どんなに絶望の淵にいたとしても、差し伸べてくれる手は必ずある。You will be found、あなたには価値がある、と。

そのメッセージがソーシャルチャネルでバイラルに広がり、「コナーの親友」という作り話はどんどん膨らんでいく…

社会に馴染もうとしても馴染もうとしても、どうしても疎外感をぬぐいきれないエヴァンに、自分を重ねた。うん、私もそうだ。自分の存在感や価値が希薄で、もうここにいていいのかすら分からなくなってしまって。高い木の上から空を仰いで、ああもうこの世への執着を、枝を握るこの手ごと手放してしまってもいいんじゃないか。この幹を、この人生を、握りしめている理由は何かあったっけ?

暗くなったり、耽美的な自己愛に傾倒したり、はたまた自己憐憫のかまってちゃんぽくなったりすることなく、凄まじいバランスでエヴァンの苦悩が描かれている。かといって、可哀想な弱い子、みたいな感じもない。アスペっぽい感じがあるからかもだが、オタクでガリ勉で、なんだかとっつきにくいネガな部分も描かれていた。決してネガを美化していないのだ。だからかな。青少年の自殺、という題材を取り扱いつつも(開幕5分で準主役のコナーが死んじゃうんだよ!!!)ウェットになりすぎず、カラリとしていた。

ソーシャルの世界を延々と流れるつぶやきやインスタのエントリーの表現も好き。現代っぽい。それらの流れの中で、人ってとても小さく見える。自分はさらに小さく見える。でも、小さくても、あなたには絶対に価値がある。

あなたのお母さんにとってかも知れないし、ソーシャルの先の先の、見たこともない人にとってかも知れない。分からない。でも、あなたの声は、きっと届くから。

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プレビュー期間で、この完成度。エヴァン役の子、これからもフォローせねば。

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