道徳の主な批判

道徳科の時間に関しては、いくつかの主だった批判があります。今日はそのうちのいくつかを紹介していきます。

①国が望ましい価値観を決めて良いのか

 主な批判といえば、これが上がるでしょう。道徳を教えるといったときに、直感的出てくるものであるといえるかもしれません。日本は特に、戦前の修身科の学習の影響もあってか、特にこの辺の批判は根強いものがあります。修身科が筆頭科目に置かれていたことにへの反動ともいえそうです。公教育で学力よりも、人間力と完全に言い切ってしまうとどこか違和感を感じる人も多いのではないのでしょうか。また、望ましい価値観が何をどのようなものを示しているのかという内容的なものも批判のポイントになっています。

②先生自身に道徳性がない。

 教師の不祥事は「教師」というだけで、社会的に大きく取り上げられます。大きく取り上げらるだけでなく、子どもに関わるものとして特に高い倫理観を求められるのも教師です。(子どもに関わるものとしてというのであれば、本当は大人全員が高い倫理規範を持っていないといけないはずなのですが・・・)では、そんな不祥事を起こすような先生が道徳を教えることなんて本当にできるの?という点になりそうです。

③価値観が多様化している

 現代では、価値観が本当に多様化しています。今までは正しいと思っていたことが実は正しくなかったり、その逆のことが起きていたりします。どちらにせよ、広く様々な価値観を認めていこうというように価値観を拡大していこうという傾向が今日まで続いてきています。そんな中で学校で一定の価値観について教えても良いのかというところに疑問が出てくるわけです。

④人権を蔑ろにしている。

 これは、どちらかというと教師側からの批判です。学校教育では、道徳教育の他に人権教育というのもあります。人権教育は障害者差別や部落差別、平和教育といった観点から、人が人として大切にされる社会を作っていきましょう。ということをコンセプトとして進められてきたものです。人権教育という観点から見てみると、道徳教育の内容の中には人権侵害に当たるのでは?という項目もあります。中には、人権と道徳はどっちが上かといった論争も一部であります。

といったところでしょうか。批判されるところは批判されて、より良い教育になっていくと良いなと感じます。

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