1時間一項目の授業形態をどの程度重視すべきか。

昨日、道徳の五大論争について書きました。(まだ、ご覧になっていない方はそちらをお読みください。)

今日は、それに対して、私の意見を書いていこうと思います。(相変わらずガバガバです。)

前の記事でも述べた通り、あくまでも方法論に関する論争であるため、最善解は目的によって変わります。

その上で、私はこう思うということを書いていくつもりです。

私の結論は、一時間で扱う内容項目は一項目であるべき、ただし、扱った価値をベースに他の価値観について語るのは認めるべき。

まず、1時間一項目という状況が成り立つための前提を確認します。その前提は、道徳の授業は45分一本勝負であるということです。

道徳の時間は週に一時間しかありません。次の道徳の時間までは、一週間時間が空いてしまいます。その中で考えると、二時間以上の単元を組むのは少し難しい気がします。子どもたちも忘れてしまいます。そうなると、一時間の授業の質が重要になってきます。

その質とは、一つの価値についてどれだけ深堀できるかではないでしょうか。広く多様な価値観を同等に扱おうとすると、どうしても時間が足りません。また、一つ一つの価値認識も浅いものになってしまいます。それよりは、一つの価値観を徹底的に突き詰めて考えようというわけです。

一つの価値観を徹底的に突き詰めて考えていく際には、その価値観自体を様々な観点から検討していきます。その中で生まれてくる視点の相互作用から、より深い理解の伴った認識へと昇華していきます。そして、価値観が深まっていく中で、他の価値観との関連性が見えてきます。ここの部分が扱った価値観をベースにするという部分です。

つまり、児童の今持っているままの価値観と、別の価値観を頭から対立させるのではなく、一度深い価値観に触れてから他の価値観から検討を加えていくことで、テーマとなっている価値をより深い認識にしていこうという考えです。

子どもたちが扱っている価値観ベースで話しているのか、それとも、別の価値項目の話になってしまっているかは、その授業を見てみないとわかりません。強いて言うなら、この一時間で新しいものが見えたうえで、話しているのか、それともそうでないかです。

こればかりは、この言葉が出てきたら・・・というように記録を見るだけではどうしてもわからないものがあります。その場に参加して、授業を作り上げている教師の感覚(手ごたえ)と外目から見た場合の印象が全く違うということが起こるからです。

以上、五年目教員の拙い論でした。

この記事が良かったと思ったらスキ!&フォローよろしくお願いします。日々の投稿の励みになります。サポートも頂ければ、日々の教育の中で使おうと考えています。