道徳専科があってもよいと思う。

以前、つぶやいた専科の話。今日はこれについて考えていきます。

小学校は基本的に学級担任制をとっています。(筑波は専科制ですが・・・かなりの例外です。)

ですので、基本的に担任が全ての教科を自分で教えます。

とはいえ、高学年になると芸術系の科目や、準備の必要な理科等では専門的な知識や技能が必要になってきます。また、高学年の先生は授業時間も多く負担が大きいのです。

そこで、音楽や理科等はそれを教える専門の先生が入ることで担任の負担を軽減することが出来ます。また、専科の先生は一つの授業の準備に多くの時間を割くことができるため、授業の質を上げやすいです。

とはいえ、道徳の専科というのはあまり聞きません。理由としては、道徳の授業で伝えたいことは担任が児童の実態から細かく決定していくというのが原則であるからだと考えられます。

とはいえ、僕は道徳は専科にすべきだと思うのです。それも、全学年全クラスの。

一つ目の理由としては、教材研究の大変さです。2時間の教材研究をしたとしても、わずか一回の授業でしか使われません。しかも、同じ教材で授業ができるのは、教科書が新しくなるまでの間に同じ学年を持った場合に限ります。これでは時間効率があまりにも悪いです。

専科にすることによって学級数分の授業をすることが出来ます。つまり、教材研究をした際の効率が大きく上がります。加えて、同じ教材を何回かすることによって、その教材の授業の熟達も促せます。

クラス数にもよりますが、仮に一学年3クラスと仮定すると、×6で、一週間で18回授業ができます。2週間で学級担任が一年で授業をしなければならない回数に到達します。一年間授業すれば、22年分(夏休みを除く)の授業をしたことになります。これだけ授業をすれば、ノウハウは必然的に溜まっていきます。

具体例を挙げると、筑波大学附属の加藤先生と岡山大附属の尾崎先生はどちらも専科の先生です。二人とも子どもたちへの切り返しや教材に関する知識が深く、授業がとても面白いです。これは、やはりたくさんの授業をしている経験値からくるもので、一朝一夕で身につくものではありません。

とはいえ、6つもの教材の教材研究ができるのかという疑問は残ります。ですが、一週間の内容項目を各学年で同じものにしておけば、各学年ごとのつながりも見えて、価値研究もはかどるのではないかと思います。

また、道徳の授業は基本的に45分一本勝負なので、2時間連続ということもないので、専科とは相性が良いはずです。

担任の先生の負担も減るので、昨今話題の働き方改革になるのではないかとも思います。




この記事が良かったと思ったらスキ!&フォローよろしくお願いします。日々の投稿の励みになります。サポートも頂ければ、日々の教育の中で使おうと考えています。