道徳五大論争について

明治図書の2019年9月号「道徳教育」で「どう考える!?道徳授業づくりの5大論争という特集をしていました。道徳を専門にしている(と自分は思っている。)私はもう、興味津々です。

ちなみに論点はこんな感じ。

・1時間1内容項目の授業形態を、どの程度重視すべきか

・授業のテーマ(ねらい)は、子どもに初めから提示すべきか、否か

・教科書と自作教材の活用は、35時間でどのようなバランスがよいのか

・道徳授業で実際の解決策を考えてよいのか、NGか

・道徳授業で体験的な学習をメインにすることはよいのか、否か

・・・この論点を見て私がまず最初に思ったのが、「ねらい(目的)によるのでは?」という点です。

例えば、授業のねらいを提示するかどうかは、その授業で子どもたちに何を気づかせたいかということに依拠します。自然愛や愛国心といった抽象的で児童の中にあまり経験がないものであれば、めあては提示して考えた方がよさそうですし、友情や善悪の判断といったことであれば、提示しなくてもよいのではないかと思います。

この論争に寄稿している、大原龍一先生も同じようなことを書いていて、良しとする意見を取るときもあれば、否とする意見を取るときもある。その時、その場での状況によってどちらが善いかということは変わりうるもののように思います。

今回の論争の論点の問いとなっているのは全てどのようにという部分で何のためには問われていません。

つまり、ここで議論されているのは全て方法論であってその目的論ではないということです。

そのため、答えとしてはどっちの立場でもありだよね。というものにならざるを得ません。もしくは、倫理的に引っ掛かるかどうかという点です。

ただ、その中でも、面白いなと感じる意見もありました。体験的な活動をメインに据えるか否かの論争で、そうするべきである側の意見を寄稿した林泰成先生は体験的活動の意義についてこんな例えで語っています。

同じ目的地に向かうにしても、新幹線で移動したのと、自分の足で歩き通して到着したのとでは、到着地の景色は、主観的にはまったく違う。(明治図書「道徳教育」2019年9月号より)

実際に体験したものと、そうでないものでは、感じ方や捉え方が全く変わってくるという点は非常に説得力があるものだと思います。とはいっても、日本の学校教育の状況下ではランダム化比較対照実験ができないため、本当にそうなっているのかの検証は非常に難しいのです。

以上のことを踏まえたうえで、次回は僕の考えを書いていこうと思います。

次は、目的論的な論争を読みたいなと思いました。



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