顔を上げなくてもいい、ただ生きて


今年も読売新聞社が「#しんどい君へ」という連載をしているのが目に留まり、今のところ載せられた今年のすべての記事に目を通した。その記事のなかには私が学生の頃から応援している彼の姿もあった。いつもテレビで見かける彼らが語るつらい体験、そしてどのように乗り越えたか。どの記事も胸に残るものばかりだった。



でも、少しだけ胸に引っかかっていることがある。

このように表舞台で活躍している彼らが過去の体験、それをどのように乗り越えたのかを語るときによく目にする言葉がある。それは、「周りに相談してみて」や「学校の世界がすべてじゃない」というようなものだ。

どの言葉も、そうだな、と思う。かくいう私も、過去に書いたいくつかの記事に彼らと同じようなことを書いている。私は自分が書いた言葉に嘘は無いし、きっとこの「#しんどい君へ」の彼らも本当に心の底から出た言葉なんだと思う。分かっている、そんなことは。でも、この言葉が言えるのは、結果論ではあるが周りの環境に恵まれていたからだろう。もちろん、彼らの言葉を否定するつもりはないし、私と表舞台で活躍する彼らとでは言葉に宿る力が違う。そんなことは分かっていて、でも私はこの文章を書いている。だって、書かずにはいられなかったから。


もう一度言うが、私は自分が書いた言葉に嘘は無いし、責任も持っている。でも、もし虐められていた過去の私が「周りに相談してみて」とか「どこかにあなたの居場所は必ずあるよ」と言われたらどんな気持ちになるだろう。

「出来るならそうしてるよ」

「じゃあ、その居場所はどこ?」

きっとそう言うに違いないだろう。そう言って、その言葉を掛けてきた相手に一瞬にして心を閉ざす。よく考えたら分かることなのに、何故私はあのように書いてしまったのだろうとずっと、考えている。

もちろん、それらの言葉で背中を押された子もたくさんいるだろう。しかし、その環境すら無い子にとってはさらに追い詰めてしまう言葉でもある。私はそのことがちゃんと分かっていたはずなのに気付かなかった。


過去の私に聞く。あのときのあなたに相談出来る環境はありましたか?―――答えは、「いいえ」だ。


私は小中と虐めを受けてきて、それを大人に相談することが出来なかった。家庭環境が良くなくて親には相談出来ず、学校の先生は信頼出来ない。それに加え、自分の弱さを見せられない見栄っ張りな性格。誰にも言えないまま、ずっと自分の心の奥深くに隠していた。

そのときの私と同じような子達がどこかにいる。学校に行かなくても良いからと安心して過ごせる夏休みが終わってしまうことに、文字通り"絶望"している子が間違いなくいるのだ。あの頃の私のように。


では、私はその子達にどんな言葉を掛けたらいいんだろう。
しかし、考えても考えても、悲しいぐらいに何も思い付かない。今の私が、過去の私に掛けてあげられる言葉なんて、何ひとつ見つからないのだ。

ただ、言葉よりも、誰かにそっと隣にいて欲しかったなと今になっては思うんだ。


本当に助けて欲しい人ほど、「助けて」と声を上げることが難しい。自分の世界に閉じこもっている子に「学校以外にも居場所はあるよ」と言うのも、もしかしたら負担になるかもしれない。だって、俯いているその子に「顔を上げてもっと周りを見ろ」と言うのも酷な話だろう。もちろん、ポジティブになることは生きていくうえで必要なスキルだ。でも、何故いつも変わることや努力を強いられるのは被害者側なんだろうと私個人は思う。居場所を見つけるために顔を上げることすら、苦しい人達もいる。

被害者側に慰めや前向きな言葉を掛けることと共に、やるべきことがあるんじゃないのか。

変わったほうがいいのは、周りをもっと見たほうがいいのはまずは「いじめ」などと言う生ぬるい言葉で済まそうとする社会そのものなのではないのか。

「無理して学校に行かなくてもいい」と伝えることも必要なことだ。でも、そうなった場合にその子の「居場所」を探したり作ったりするのは被害者やその保護者ではなく社会の役目だろう。

変わるべきは被害者じゃない、「いじめ」という生ぬるい表現で暴力行為そのものをぼかしてきた社会だと私は思う。暴力行為とはなにも身体的暴力のことを指すだけではない。人の心を壊したら、それはもう立派な暴力行為だ。


毎日が怖いと思う。つらいし、死にたいって何度も何度も思ってきただろうし、きっとこれからも思うだろう。私が今生きているのだって、ただの結果論に過ぎない。だから、私はその気持ちを否定しない。でも、ほんの少しでも良いから寄り添わせて欲しいし、その上で私はあなたに生きていて欲しいと思って私はこの文章を書いている。一方的な、身勝手な願いだけれど。




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