出る杭は打たれるー突き抜ければもう打たれない!? No.1よりThe Only1 Part4

 出る杭は打たれる、それならNo.1よりオンリー1になり周囲を寄せ付けないほど突き抜ければ、もう打たれない!槇原氏の歌詞で国民的アイドルSMAPが歌うより前に、私は、研究所でそれを目指していました!

最近、テレビで「アメリカのシンクタンクが・・・」を聞きます。皆さま、シンクタンクってご存知ですか?

 元々Think Tank(頭脳集団)は、政策研究をするエキスパートの組織。1972年頃に財閥系の野村・三菱・三井が「総合研究所」(以下総研)を創設、バブル時代には殆ど全ての金融機関が「総研」を設立。

 実は、私は早稲田大学首席卒業の直前、大学院に進学するか、ジャーナリストを目指すかで迷ってました。社会学の魅力に取り憑かれ、もう少し研究したかったし、すぐに会社員、OLってイメージが湧かなくて。

 早稲田大には「大隈奨学金」(各学部成績が上から数人まで、授業料全額免除!所得制限なし)があるので、1年から毎年審査、4年まで授業料タダの特待生だったし、既に家庭教師は土日で10人、お金もあったし。

 その頃「研究できるのに、お金を貰える!」美味しい就職先としてシンクタンクを知り(後にそんなに甘くないことを十分身に沁みるのですが)、NHK、TBS、朝日新聞、JALの内定を蹴って、総研に入社。しかし、老舗の財閥系の総研では、まだ女性は短大卒で十分、お茶汲みという意識。

「話が違う!」と言って総研に配属される前、学生時代、人事に抗議の電話を懸けました(後に、文科省の「男女共同参画社会実現」の審議会メンバーになった時、この経験が役に立つのです)。小・中・高・大と全てトップ成績だったのに、社会には、まだ男尊女卑の意識が根強く。

 でも、総研の地域計画研究室に配属され、東大・京大・東工大・早慶が殆どの先輩達、頭脳集団についていけるか不安で、ひたすら認めて貰えるべく仕事に邁進。「他の先輩研究員がやれば、すぐに出来ることなので、私はそれを短期間でこなそう」とデータを見て解析し、報告書執筆を任せて貰った時、5日で書き上げました(普通3ヶ月かける量です)。

 それで研究室の先輩方は驚き、褒めてくれましたが、自分はまだまだ。地方自治体の基本構想を策定するプロジェクトに「研究員」と書かれた名刺が嬉しく、総研初の宿泊出張を新人の8月に経験。女性の先輩もいたので、面白く思われなかったのでは・・(この頃は出る杭)。

 深夜残業は毎日。その後、あの森永卓郎氏(経済研究室)と、2人で所属研究室は勿論、ずっと赤字続きの総研を黒字に貢献。私は官公庁や地方自治体から「ご指名」で委託研究を受けるまでになり、重役達が「田中美子に辞められたら困る」とキャリア制度を創設してくれたのです。

 政策研究プロジェクト13本を同時に走らせ、年収は当時700万円程度なのに、1年に1億6千万円もの研究費を研究企画書で勝ち取りました。こうなると、誰も私に文句を言う人はおらず「突き抜ける」ことに成功。しかし年齢がほぼ同じ男子社員は最初はプライド高く、指示には気を遣い一苦労。霞ヶ関の官僚との議論は、楽しかったのです。謙虚だったなぁ・・。(続く)

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