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【不純空想科学・BL小説】虹の制空権 第二部 6章 運河に出でぬ


~半獣人×人造人間BL•SF小説~

生臭い水の匂いがした。
水面の上を、ちらちらと白い光の反射が揺れていた。
空に星はない。
街を覆う雲と、流れる水を人々の営みから漏れだす明かりがほのかに照らす。
この街に夜は来ない。光も風も、薄汚い昼の名残を含み、だらだらした朝が来るまで、時間をつぶし続けている。
街の汚水を集めて流れる黒い運河には、その岸辺に降りる階段がつけられていた。
こんな臭く生ぬるい、風の止まった水辺のほとりで過ごしたい者はいない。その階段は誰にも使われず、つる草に埋もれていた。
半獣人のノイルと人造人間ツァオレン、居酒屋で人間とトラブルを起こした二人の人外が国営警備隊から逃れようと身を隠したのはこの階段の下だった。
ヤブガラシが生い茂り、向こう岸から見えない。このつる性植物の葉の隙間から、水面の明かりが揺れている。
膝を抱えて座っていたノイルは、薄闇を貫いて、ぐわ、と立ち上がった。
頭が階段につきそうだ。いらいらとマスクをはがしてポケットにつっこみ、掌の傷を舐めた。アイスピックを受け止めた傷は、半獣人の驚異的な回復力により、早くもふさがっていたのだが。
体をゆすってまたしゃがんだ。腐った水と草の匂いを存分に吸い込む。到底、落ち着けそうにない。
そばにツァオレンが横臥していた。
夜も眠らず、窓辺に突っ立って煙草の煙を吐いて過ごすこの人造人間が、自分で身を横たえることなどありえない。
尋常でないありさまだった。
投げ出された手足がまた、細かく震えだした。かすかに聞こえる小さな音は震える歯が当たっているからだ。
美しい指は強ばり、地面をかいている。
隠れ場所を知っていたのはツァオレンだった。ここに身を潜めてまもなく、彼はぶっ倒れ、四肢を震わせ、この状態だ。
頭の揺れに合わせアイシールドも震える。目の色はわからないが、その唇は笑っているようでもあり、泣き出すのを堪えているようにもみえる。
隣で過ごせば、誰であってもストレスホルモン、コルチゾールがあふれるごとく湧いてくる。この発作から救いだすか、もしくは、いっそ運河に流してしまいたくなる。
冴えわたってしまう人造人間の頭をぼんやりさせるために煙草が必要らしい、ということは知っていた。しかし、頭が冴えわたることの何がいけないのか、はなはだ疑問であった。
先ほどの居酒屋で囲まれたならず者どもに煙草をはたき落され、手持ちの煙草を失ったツァオレン。いまや煙草の“効果“が切れていた。
そうしたら、こうなるのだ。
なぜ、ツァオレンが煙草を手放せないのか、やっとノイルは体で理解した。
ゼンマイの切れかけたおもちゃのように、カタカタと震える悲惨な姿は、そばにいるノイルをいてもたってもいられなくする。
「…煙草、買ってきましょうか?」
ノイルは尋ねた。警備隊がまだうろついているかもしれない。彼らに見つかる危険性はあるが、悶える人造人間と朝まで過ごすよりましだ。
「…無理だ…午後8時以降は販売停止だよ」
かすれ声が絶望的な現実を告げた。
「朝までもちますか?ねえ…」
ツァオレンはなにごとかを小さな声で呟いていた。ノイルは、膝をつき、その口元へ耳を寄せた。
「…ほかならぬ大ガラスが、しわがれ声で喚いている、ダンカンが私の城へ、今、運命の入城を果たすのだ。来い、悪霊ども、人殺しのたくらみに仕えるおぬしら、私を女でなくしておくれ!…」
ノイルの背に悪寒が走った。まったく見当もつかない言葉の羅列。この状況と全く別の脈絡の、なにかであることだけは確かだ。
「ツァオレンさん!あの、ツァオレンさーん」
ツァオレンの手を取り、肩をゆさぶり、引き戻そうと名を呼ぶ。その手も肩も冷たくこわばっていた。この男は、こんな硬い体をしていなかったはずだ。
煙草をくわえてへらへらと笑い、いい加減で何も覚えようとはせず、しかし常に機嫌よく、この街で迷子になりそうなノイルにその場しのぎながらも助けの手を差し伸べるツァオレン。その彼はどこかにいっちゃってしまっていた。
「…頭のてっぺんから足の爪先まで、世にも恐ろしい残忍さで満たすのだ、あふれんばかりに。私の血潮をどろりとこごらせ、あたたかい思いやりに通ずる道など、固く閉ざしておくれ、人間らしい憐みの情が訪れ、私の恐ろしい決意を揺さぶり、決意の実現をさまたげることなど起こらぬように、来い、人殺しの手先をつとめる者どもよ、この私の、女の胸に…」
「おーい!ツァオレン、さーん!」
「…今、苦い胆汁に変わった私の乳を吸って、大きく強く育つがいい。目には見えぬその姿がどこにあろうと、自然にそむく悪逆の仕業に、いつでも手を貸すおぬしらよ。さあ、来い、闇ぶかい夜、真っ黒い地獄の間に身を包め。そうすれば私の鋭い短剣も、刃がえぐる傷口を見ることはなく、天が聞の帳をつらぬき、高く呼ばわることもあるまい、『待て、待て』と…」
「ツ、ァ、オ、レ、ン。ね、ツァオレンさん!」
うわごとのように、凄絶な言葉をつぶやき続ける人造人間の肩をさらにゆすり、固まった手を握りしめる。
ノイルは知らなかったが、この言葉の羅列は人造人間ツァオレンが内戦中、暗号解読のためクローンたちから抜き取った膨大な情報の一部だった。それが、今、すっかりバグって決壊したツァオレンの記憶回路からあふれ続けている。
「自分、何か、できることないですか?あ、そうだ…」
半開きのツァオレンの唇。ノイルはそこに自分の小指を差し込んだ。
―煙草、みたいかもしれない。
追い込まれた半獣人の破れかぶれのひらめきだった。
さすがに、太い指をこじ入れられたその口から漏れるつぶやきは止まった。
やがて、その指を唇のぬくもりが濡らした。
そこに細かなふるえが伝わり、そうして唇が、歯が、切なくその指をかんだ。

細胞培養と遺伝子工学、樹脂加工、脳科学、当時の最先端技術の粋を尽くし、技術者たちがまさに心血を注ぎ、戦艦一台分ほどの開発費がつぎ込まれたこの人造人間dao-cao-renは、内戦の中、クローンの尋問でめざましい戦果をあげた。
そして、あっけない理由から使い物にならなくなった。
クローンは人間と法的に定められたからだ。
人造人間には、安全装置として人間への絶対服従、決して危害を加えないことが起動時から意識回路に焼きつけられている。クローンが人間とされたことで、彼らは数知れぬクローンを殺害した記憶との矛盾を解決できなくなり、意識回路が破綻した。
人造人間たちは、研究所に返却され、お荷物扱いのまま内戦は終結した。
平和な世が訪れ、彼らは民間企業に払い下げられた。
最新鋭の戦闘兵器dao-cao-renも同様の運命をたどった。
開発した技術者たちが聞いたら絶望するような安い価格がつけられた。
けれど、絶望するような目にあったのは、この人造人間そのものだった。
払い下げられた先で、しょっちゅうバグを起こし、ほとんど何の役にも立たなかった。そうして、転売され、譲渡され、本来の用途からかけはなれた用途で酷使され、所有者たちを落胆させ、ガラクタ扱いされて、人間たちの間を漂った。最後に彼を拾ったのが、翠玉荘の大家、クローンの魔子だった。
内戦終結後に、記憶鎮静効果成分を配合した煙草が出回るようになり、内戦の過酷な記憶を紛らわせたい人間たちが吸うようになった。
あるとき、この人造人間に煙草を吸わせた者がいた。
どんな薬理効果か解明されていないのだが、また、そんな現象を研究する者もいないのだが、とにかく人間に効果のあるものが、人造人間にも一定の効果をもたらした。
人造人間のバグはおさまったが、人間が使うよりはるかに大量の煙草を必要とした。
皮肉なことに、睡眠不要という人造人間の長所も裏目に出た。昼夜問わず、煙草をきらすことができない。

ついに、ツァオレンは、わずかに首を動かした。
人造人間は、のぞきこむ半獣人を見た。
無精ひげの坊主頭、太い首。野性の匂いを放つ引き締まった浅黒い肌の顔。
しかしその濃い眉は悲しげに下がり、鋭く光る黒い瞳は今にも泣き出しそうに潤んでいた。普段、マスクで隠れている唇が不安そうに口角を下げている。
ゆっくり、ツァオレンは口を開いた。
そうっとノイルは指をひっこめた。
「…あ…あの…え…」
普段より冴えているノイルには、ツァオレンが何を言わんとしているかすぐにわかり、言葉をひきとった。
「ノイルです」
「ノイル君…」
アイシールド越しだが、ノイルはツァオレンと目が合ったと感じた。やっと、ツァオレンがこちらに戻りかけ、通じ始めている。
ノイルは、わかっている、ということを示すために大きくうなずいた。
「どうしたらいいですか?」
「…すまないけど…」
震えながら、ツァオレンはノイルに支えられて半身を起こした。
「大丈夫です、何でも言ってください」
「…その」
電柱のように太いノイルの膝にツァオレンが手をついた。
「…昨日みたいなことしてくれない?」
「昨日?」
「もちろん、君の準備が整うまで手伝おう。…横になって、くつろいでくれたまえ、ここに寝て…」
「はあ」
押されるまま、素直にノイルは体を横たえた。さっきと逆だ。今はツァオレンでなく、自分の方が寝転がっている。
だが、昨日って、何をしただろう?
詩織とツァオレンの3人で共同炊事場でカレーを作ったらツァオレンの味付けがひどくて、超激辛、それから…
「何するんですか!」
はじかれたように身を起こそうとしたノイルを思いがけず強い力が阻んだ。ツァオレンが腰にしがみついている。
ノイルの脚の間に身を割り込ませた人造人間は、スウェットに手をかけていた。
昨日、ツァオレンにしたことといえば、そう、あのことしかない。
ノイルに答えず、ツァオレンはその着衣を、下着を引き下ろした。
これまで見たことのない彼の切迫感が、ノイルの抵抗を阻んだ。こわばる手がノイル自身を濃い茂みからすくいあげ、そうして、あの形よい唇がこれをくわえ、迷いもなく呑み込んだ。
くつろいで、とツァオレンは言った。
くつろぐんだ。くつろがなくちゃ。
ノイルも覚悟を決めた。

容赦ない舌が、喉が肉茎を絞り上げ、あっけなく、本人も情けなくなるほどたちまちに、奮い立たせてしまった。
股間に埋まるツァオレンの髪に触れた。柔らかな優しい感触。それと裏腹の恥ずかしげもない激しい顎の動き。
そんなことをされるなど、ノイルは想像もしたことがない。そこは、そんなことに使う部位ではなかったはずだ。
そこは…でも、そこは、何に使うんだろう?
敏感な部位をこすられ、吸われて、ずぶずぶと沼に溺れていくように快感に沈む。
前をしゃぶりながら、ツァオレンは指をノイルの会陰に這わせた。じりじりと肉体の継ぎ目をたどる指はついにうしろを割り、潜り込もうとした。
くつろごうと腹をくくったはずのノイルもさすがに体を固くした。
そんなところ、内臓ともいえるその器官、粘膜を自分でも探ったことはない。
そこは細い指一本でさえ拒み、固く閉じている。
不思議なことだ。
昨日、ツァオレンのそこはノイルの凶刃を難なく呑み込み、自在に締め付け、搾り上げたのに、ずっと大きな体をしているノイルのそれは、慎ましやかに閉ざされている。
ツァオレンの指は決して無理を強いない。ひだをゆっくり押し、撫で続けている。
ノイルは目をつむった。意識は否応なく激しく攻め立てられている体の中心へ向かってしまう。
あ、と力の抜けた瞬間に後孔へ指が差し込まれた。
おそろしい異物感に身を強ばらせる。指が体の内側をこする。
内臓に、人の指を、他人の体の一部を含む。
侵されたような、こじあけられたような痛みと、いてもたってもいられないようなむず痒さ、居心地の悪さ。
でもこれも、快感かもしれない。
なぜなら、ノイルの雲をつく頂きがいっそう固く熱を帯び、ツァオレンの喉奥を、突き破らんばかりに増長したからだ。
急に、後ろを責める指が引き抜かれた。
ツァオレンは口も放し、ノイルを解放した。
湿った音を立て、口からはじけ出たそれはすっかり野蛮な相貌を呈している。
じっと、言われた通りに一生懸命、くつろごうとしていたノイルはむくりと身を起こした。
くつろぐ?
こうして前後を責められ、煽られ、それでもじっとくつろぐなんて。
そんなことは自分の性に合わない。
薄闇の中、わずかな明かりを反射してツァオレンのアイシールドの端が光った。優雅な形の唇は、つい今まで、半獣人の肉体の、もっとも獣じみた部位をくわえていた。体に合わないTシャツの襟ぐりから、白い首筋が、しなやかなこの美しい獲物の一部がのぞく。
昨日初めて、他者と肌を合わせたノイルだが、自分の中の大いなる矢印みたいなものが、これまで夢想の中に隠されていたものが、その形を現し始めている。
準備は整った。
自分の性に合っているのは。
ノイルは荒々しくツァオレンの二の腕をつかみ、立ち上がらせた。こちらに背をむけさせる。
ツァオレンはバランスを崩し、とっさに蔓に覆われた運河の柵をつかんだ。
さきほど、男たちに対峙したときのように、ノイルの体はひとまわり質量を増していた。筋肉が大きくふくらみ、剛毛に覆われた腕に、手の甲に血管が熱く浮き上がっている。
禍々しく巨大な獣の影が、震える人造人間の腰を後ろからとらえ、コンバットパンツを引きずりおろそうとした。ツァオレンのおぼつかない手がベルトのバックルを何とか外し、この薄汚い街の明かり漂う闇の中に、白々と輝く人造人間の下肢が剥き出された。
なよやかなその双丘を巨大な掌が容赦なくとらえて、難なく開かせ、迷うことなくノイルはその野生の最前線を打ち込んだ。
ー人間ってそういうもんだよ。お前も半分は人間だろ?
屋根の上で、ツァオレンが言っていた言葉だ。

内臓の奥にともされた明かりのような仄かな痛み。
この痛みをたぐりよせ、ツァオレンは混迷からやっと抜け出した。
錯綜する火花のような記憶情報の集合体。
言語の羅列が波浪のように押し寄せて、人造人間の明晰なはずの意識回路をバグらせる。
煙草による記憶の鎮静効果が切れると、彼はこの状態に陥る。
半獣人との交合によってもたらされる微弱な(あくまで人造にとっては、という意味だが)疼痛が記憶を鎮静させるとは、画期的な発見だ。
人造人間である彼の体は、過酷で屈辱を伴う使役にも就けるよう、人間よりもはるかに痛覚が絞られている。
内戦後に払い下げられた売春事業所で、夜昼なく、人間たちの嗜虐心のまま、殴られ、縛られ、炙られて、さんざん犯されてきたが、彼に届く痛みを与えることはなかったのだ。半獣人の巨大な雄器を咥えることも、嘔吐反射のない人造人間ならたやすい。
柵をつかみ、つきだしたツァオレンの尻にノイルが覆い被さり、暴走する炎を叩きつけている。
ツァオレンはアイシールドの下の目を閉じた。
こめかみを突き破りそうな鼓動はすっかりおさまっていた。
静かに息を吐き、吸い、隅々まで体を酸素で満たす。
朝を迎えるまでは長いが、ノイルの欲情は底を尽きそうにない。
背後なら唸り声が聞こえ、ひときわ鋭く突き上げられた。熱い胸が背に押し当てられ、強く抱き締められる。耳元にかかる息は溶鉱炉から漏れる排気のようだ。
第1ターン終了らしいが、昨日の様子から、まだまだこれは序の口だろう。
猛り狂う半獣人と真逆に、人造人間は穏やかな入り江の波に抱かれるように、この獣の交情に身を委ねた。

(第二部 7章に続く)


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