競争に勝つ事が目的と化す

競争とは人生のあらゆる場面において不可欠なものです。競争=切磋琢磨、と考えれば質の良い結果を生み出せて生活・社会が潤います。程度の差こそあれ私たちは皆競争社会に生きる事を余儀なくされています。

アカデミアの人間、特にファカルティはその先端にいる、最も競争心の強くそして数々の困難に打ち勝ち続けていける性質の人間です。良い大学院へ行き、良い成績を収め、学位を取って安い給料で競争率の高いラボでポスドクを経験し、質の高い雑誌にバンバン論文を投稿し、超難関の大学でのファカルティの座を手に入れます。

そこからも競争は続きます…

自分の苗字の名前のついたラボを構え、ウェブサイトを作り、人を雇い(いろんな人種を揃えなければいけません)、見習い期間と称して安い時給でその人達にバンバン実験をさせ、出たデータでグラントを書き、その他あらゆる手段を駆使して100万ドル近くの研究資金を得て、どんどん出世。

ここまで勝ち進んだらプール付きの豪邸に住む事が可能になり、機会のある毎にラボのメンバーを招待して綺麗にメンテされたピカピカする芝生の上でbbqやピクニックを開催、外国から雇ったポスドクたちにこれらのアメリカンドリームを見せてあげて、成功を例として証明します。

でも、ここまで勝ち残っていける人はほんのごく僅か。多くのファカルティ、特に外国生まれ外国育ち、ポスドクからアメリカに来た私のような外国人にとっては、ここまでのしあがっていくには運と小賢しさと努力の全てが完璧な状態でないと難しいです。

そしてこういった、成功しない大多数の研究者が陥ってしまう思考パターンがあって、それは競争に勝たなければ成功しない故に、競争に勝つ事が目的化してしまうことです。

でも競争に勝つ事は手段に留めるべきであって、目的となってはいけない。目的化してしまってはその目的を果たす為に満身創痍になって何年もの時間を無駄に費やしてしまう。

↑そのことに気づくまでに長い長い月日がかかりました。

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