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第1章 マルクス人物伝(7)

イギリスでの研究生活

なんとかイギリスに逃れたマルクスでしたが,家計は困窮を極めました.家具や洋服など売りに出したり,差し押さえにあったりしながらもどうにかやっていくという状態です.そのような生活がたたってか,イギリスで生まれた次男と三女,また8歳になった長男も病気で失ってしまいます.

不幸続きのマルクスでしたが,仕事面では経済学の研究にまい進するようになります.大英博物館の図書室に連日のように通いつめ,経済学の文献調査に没頭する日々を送りました.

 そして,移住から10年後の1849年,経済学の専門書『経済学批判』を出版し,さらにその7年後の1867年,49歳のときに大著となる『資本論』の第1部(第1巻)を出版します.

 「はじめに」で述べたようにこの本は,資本主義経済を広範に渡り全面的に分析したものであり,また社会主義・共産主義をバックアップする目的を持って書かれているため,資本主義を批判的側面からとらえた内容となっています.

そこに書かれている中心的な研究成果としては,資本家による剰余価値取得の原理を解明した点があります.エンゲルスはこの剰余価値の発見に対して,先に紹介した「史的唯物論」と並ぶマルクスの二大業績の一つ,と評しています.なお,『資本論』の内容については第3章で説明します.

 また実践的活動面では,1864年に国際的な労働者組織である第1インターナショナルの発足に携わったり,1871年に発生したパリ市民の武装蜂起によって誕生したプロレタリア独裁政府「パリ・コミューン」を支持する活動を行ったりしました.

こうして生涯にわたって共産主義の実現に身を捧げたマルクスは1883年,ロンドンの自宅で65年の人生を閉じました.生前,彼は常に人類の新しい未来を模索し,その実現のために東奔西走し,全力で激動の時代を駆け抜けました.

なお,『資本論』の第2部と第3部は遺稿を引き受けたエンゲルスの手によって出版されています.


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