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悩み -theme : 移動

毎日電車に乗って移動をしているのだが、さいきん悩みがある。

ある日、昼間の特急列車の席に座っていると隣の人が指をポキポキ鳴らしているのが横目に入った。
気になる。指を鳴らしている人を見るとゾワッとするので苦手なのだ。

2度3度なら見逃すところだが、10本すべてを鳴らそうとしている。
ワーやめてくれーと言って、目を固く閉じて既にイヤホンをしている耳をさらに上から塞ぎたくなる。


電車に乗ると毎回、こういう軽微なストレスが溜まってしまう。

夜中の電車に乗り込んできた、酒で機嫌が良くなった人たちの喋り声が大きいと気になる。
隣の人が激しくスマートフォンを上下にスクロールしていると気になる。
メイクをしたり毛を剃っている人が気になる。
隣に座ってきた人から漂う匂いが臭く感じると気になる。
鼻水がないのに鼻をすするスカスカの音が気になる。
やたら幅をとって座ってくる人が気になる。
袖口とか腕とかが当たるのも気になる。


きっとここまで読んだ貴方は、そんなことはよくあるし気にしすぎだ、と思っただろう。

書きながら自分でも神経質すぎてびっくりする。
もちろん「気になる」ときは即座に耳をイヤホンで塞ぎ、鼻をマスクで覆い、目を閉じて寝るようにしてその場をやり過ごしている。
視覚も嗅覚も聴覚も機能不全にすれば気にならなくなる。

いちいち他人の仕草や行動を気にしてもしょうがないし、わたし自身が他の人から見れば気になるようなことをしている可能性だってある。

しかし反対に、五感を塞がないといけないことにはいささか疑問が残る。

そう考えたときに、そもそも電車などの大体の交通機関は、他人との距離を近づけすぎているんだと思った。
列車の座席に座ったときの隣の人との距離に比べると、学校の教室の机だってもう少し離れていたし、親しい食事の席でももう少し距離をとって座る。
素性も知らない他人が至近距離にいるという状態が、そもそも異常なのである。

そんなことを考えながら、毎日こんなどうしようもないことでストレスを積み重ねていることが悩みだった。
電車のせいなのだと責任転嫁してもなんの解決にもならない。


そんな中、とある文章を読んだ。

先日、本屋で購入した「ちゃぶ台(ミシマ社)」の第11号。
今号のテーマは、「自分の中にぼけを持て」だった。


なんとも間抜けな感じのする表紙が印象的で愛らしい


いちばんはじめに収録されている村瀬孝生氏による随筆「僕の老い方研究」を読んで、ハッとした。

介護に携わる氏がこれまで関わってきた、いわゆる「ぼけ」た方々のエピソードを語り、ぼけることについて述べている。

ぼけは他者を自らにとりこんだり他者を変容させることでしたたかに生きていく術だという。

”ぼけは私と他者の輪郭を曖昧にしていきますが、老いは私と他者の境界を容赦なく明確にします。”


なるほど、私には「ぼけ」が足りていないのだとおもった。

普段から他者との境界線をしっかりくっきりと引いてしまっているから、そこに誰かが入り込むと動揺して疲れてしまう。
だから電車という人との距離が近い場所がどうしても疲れるのだ。

だったら、老いによるぼけというわけではないけれど、自ら「ぼけ」ていけばいい。
くっきりと引いた境界線を曖昧にしていけば良いのだ。

それに、その「ぼけ」を、もうすでに私はやっている。

イヤホンをしたり、マスクをしたり、目を閉じたり。メガネをかけていたら外してみる。
五感の機能を抑えることで、世界と自分、他者と自分の境界がぼけた状態になる。

外部から身を守るためにイヤホンをすることで抑圧されている気分になっていた。
しかしそうではなく、よりおおらかに世界をとらえるための行為なのだと思えば、心持ちが変わる。

やっていることは何も変わらないけど、「ぼけ」という考え方のおかげで少し息がしやすくなったような気がする。

(文・写真 ひものみた)


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