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社会と接続された孤独な私

今日は有給をとって溜まっていたやりたいことを消化する日。

「THE LONELY CENTURY」Noreena Hertzを読んだ。

最近は本の要約ばかり読んでいて、一冊読み切ったのは久しぶり。

スマートフォンを通じて、社会と常時接続されているにも関わらず、どこかで孤独を感じる最近の違和感と結びついて、言語化が少し進んだので、久しぶりにNoteに書き出してみる。

1. 社会的に引きこもる

2020年、ウイルスの蔓延に伴い、私自信の生活様式も変化したが、中でも一番大きな変化は「1人で過ごす時間の増加」。

業務は基本リモートワーク、通勤時間は削減されて、仕事とプライベートはパソコンを閉じることで一瞬で切り替えられる環境に。

リモートワーク開始直後は、家で仕事をする感覚に慣れず、そわそわしながら働いていたが、1ヶ月すると自由に扱える時間が増え、心に余裕ができた。

更に3ヶ月経過すると、本業以外の手伝いも始められるようになり、新しい生活様式に少なくともここ1年間は満足していた。

しかしながら、最近になって新しく違和感が生じ始めた。その原因が「孤独感」。

職場では仕事を通じてオンライン上で画面の向こう側にいる人と働いているものの、音声データや映像データを介して行われるぬくもりのないコミュニケーションは、決して情緒的な何かを満たすものではない。オンライン会議終了後、ビデオ電話を切れば、いつもの自分の部屋にすぐさま呼び戻される感覚。

コロナ前と比べて相対的に人とのコミュニケーション量が減っていることも原因の一つかも知れないが、どこかで孤独を少しずつ感じ始めていた今日この頃。

リモートワークがもたらしたのは、効率性と、社会的な引きこもりかも知れない。

2. 無意識に消費する脳と心のCPU

1人きりの時間が増えたことで、無意識に生じていた孤独を埋めようと、スマートフォンを手に取る回数が明らかに増えた。その消費先はSNS(インスタグラム)や動画配信サービス(Youtube・Netflix)、娯楽コンテンツ(マンガアプリ)。 特に、動画コンテンツは流し聴きをしながら作業を行えるので、気づいたら永遠に再生している。

ながら作業を続けていて最近気づいたのは、脳内の思考に使うスペースが感覚的に小さくなっていること 。そして、ふとした少しの休憩時間にも、何かしら再生しようと手が伸びていること。

影響がないと思っていたふとした行動は、いつの間にか思考する習慣・余白・時間を削り、自分の自由を奪っていることに驚愕。

奪われていたのは脳のCPUだけではない。なんのこだわりもない、意図せぬ動画コンテンツの垂れ流しは、心の余白も少しずつ奪っていく。結果、孤独感は加速し、更にスマホに触れる回数が増えるという魔のフィードバックループ。

※本書では「デジタルディストラクション(情報機器の使用による注意散漫)」という言葉で表現されている

3. 意図的なコミュニティが孤独の解決手段となるか

脱デジタルは9月中に習慣化するとして、並行して孤独という課題感に対する打ち手を考える。

① 職場での情緒的コミュニケーションを増やす
② 親しい友人・知人とのコミュニケーションを増やす
③ 新しい人とのコミュニケーションを増やす

本書では、孤独に対して商業的なコミュニティの提供(weworkやシェアハウスのような、職場もしくは生活スペースでの人とのつながり)が一例として挙げられている。

確かに、自分自身設計されたコミュニティ空間に属することで孤独がどこまで解消されるのか興味をそそられる。ということで、早速実行に移す。

※詳細のご報告はまた後日...

最後に

コンタクトレスが進行した社会で、孤独を感じながら社会と接続している人間は少なくないことが、本書を読んでわかった。 社会のコンタクトレス化 (無人コンビニやリモートワーク)はウイルスが収まれば一定可逆性はあるものの、不可逆な部分も多く、 「孤独」という新しい社会課題が大きなテーマになりそう。

私自身も体感し始めているので、この孤独感が果たして何につながるのか、 それはどうしたら解消されるのか。そもそも解消すべきものなのか。身軽なうちに自分自身で実験をしながら観察していきたい。

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