社会的なるもの・Qアノン的価値観・化石(ChatGPTと教育)
社会的なるものブルーノ・ラトゥールは、「社会」なるものを検討するにあたって、「社会」societyではなく、「社会的なるもの」the socialとして扱った。
「社会」と名指せば、それぞれが思い描く「社会なる実体」に引きずられるし、そもそも社会学の既存概念を問い直すことにつながらない。したがって、「社会的なるもの」というセッティングは学問的なアプローチとしてとても適切だった。
(ラトゥールについては、こちらの方が非常に詳しく追っているので、参考にされたい)
そこで問われ