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NICUでの3か月間の話 入院編

無事こどもの日も過ぎたので、ちょっと思い出しながら書いておこうと思いました、下の子の出産話。

下の子は約1000グラム、極低出生体重児として予定日より3か月早く出生しました。早産の理由は最後までわかりませんでした。
ところで、いまだに「極低出生体重児」が覚えられず、極低体重出生児とゴチャゴチャになってしまいます。法定相続情報証明なのか法定相続証明情報なのかアヤフヤな感じと似ています(どうでもよい)。

お腹が痛くて病院に行ったら頭出てますと言われ、あれよあれよという間に緊急帝王切開、入院。産んだ子に会えたのは翌日でした。

保育器に入った牛乳パックサイズの我が子、口も鼻も手足もお腹も背中も沢山管がつながれていて弱々しい姿、あまりのショックにその場に崩れ落ちました。この子、生きられるの。。。?

そこに現れたのが小児科医の先生。号泣している私を落ち着かせながら、一つずつ、丁寧に、かみ砕いて現状を説明してくれました。先生の話し方や雰囲気、そばで私の身体を支えてくれていたナースからもとても楽観的な空気を感じ、なんとかこの子は3か月後に退院できるのかもしれないとやっとそこで気持ちが少し落ち着きました。ただし、今後72時間の間に何かトラブルがあれば命の保証はない、というシビアな話も当然あり、精神的にはグチャグチャのまま入院期間を過ごしました。

ちなみにお腹を切ってくれた産婦人科医の先生とオペナースは翌日の検診に現れた際「だって取り出したらよく泣いてたし。声でかいし。まあ大丈夫っしょがっはっは!」的な対応で、なんというか、肝の座り方が違うなって思いました。まあ結果的にはその通りの見立てで、プロってすごいですね。


入院中は、3時間ごとに母乳を絞って試験管に入れてその都度NICUの我が子に届けるミッションがありました。お腹の傷も痛いし眠いし母乳は大して出ないし辛いから夜は寝ていたいと言ったら、笑顔でダメと即答され撃沈したのをよく覚えています。
入院中(も退院後も)ナースとの心温まるエピソードは数多く生まれました。

また、私の血液中の鉄分があまりにも少なく、鉄剤飲んで回復しなかったら翌日退院できないという事態にも陥りました。
しかし、血液検査中に研修医の先生が「明日退院ですね、良かったですね」と声をかけてくれたので「お?」と喜んでたら、そこにいたナース達の顔色が変わりまして。先生が出て行った途端「先生はああいってますけど、鉄次第ですからね!いいですね!」と複数人に囲まれ釘をさされ、ああこの後先生怒られるんだろうなあーと思ったりもしました。

一応その後ギリギリ鉄もクリアし(オマケだよと渋々言われましたが)、7日間の入院を終え、私だけ先に退院しました。子供はあと2か月と3週間、病院に残ります。これから毎日通院する日々が始まります。

そのうちつづく。

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