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自分の気持ちを的確に言葉で表現する妻の凄み

『あなたからの愛情が薄れていることをひしひしと感じて、孤独です。』

先週の金曜日の深夜、予想していた通り、小競り合いが勃発しました。

そのきっかけは、お客様との食事会だった僕の帰宅時間が深夜2時になったことでした。

お客様と一緒にいる間、携帯電話を手元に置いていなかった僕は、帰りのタクシーの車内でそれはそれは恐ろしいメッセージがラインに何通も届いている光景を目にすることになりました。

帰宅途中の僕の気持ちは一気に沈み、正直そのまま家に帰りたくありませんでした。

重い家のドアを開けると、リビングの電気が煌々と輝いている様子を目にして、僕は修羅場を覚悟しました。

妻はリビングのソファに座って、僕の帰りを待ってくれていました。

子供が生まれたら、妻との関係性は二人で生活していた時と比べて、変化するのが当然だと僕は捉えていました。

息子が誕生してからというもの、僕は妻と子育てを一緒にするパートナーとして接する機会が増えるにつれ、妻と二人だけで楽しむ時間を疎かにしていました。

息子へ注ぐ愛情が新たに芽生え、増殖するにつれ、注げる愛情の総量が一定だと仮定すると、それまで妻に注いでいた愛情は、必然的に減りました。

息子が生まれてからだって妻のことをずっと愛していますし、死ぬまで生活を共にしたいと思っている気持ちに嘘はありません。

だからこそ、ときにはベビーシッターを依頼したり、毎月何回か午前9時30分から午後3時30分まで保育園に預けられる日にはお店を予約して妻と二人でランチしたり、友人とコンサートに出かけたいと言われれば喜んで外出させたり、毎月1週間は妻のご両親が住んでいる兵庫県の実家に息子と一緒に帰省させたりして、彼女にかかる子育ての負担を軽減するようにしてきました。

彼女を愛するからこそ、彼女にかかる子育ての負担を少しでも軽減できればと考えて、僕なりに気遣ってきたことです。

それでも妻にとって、それとこれとは話が別だったようです。

それとは、僕が彼女にかかる子育ての負担を少しでも軽減させようとしていること、これとは僕の妻に対する愛情です。

僕の妻に対する愛情を言い換えれば、僕の妻と二人で過ごしたいと思う気持ちの強さです。

僕のその気持ちが最近どんどん弱くなっていることを妻は察していて、強い孤独を感じていると打ち明けてくれました。

これは図星でした。

妻の言う通り、最近の僕は妻と二人で過ごす時間を何としてでも確保したいと思っていたかと問われれば、否と答えるでしょう。

それよりも、日々の疲れを癒やすため、息子と一緒にベッドの上で眠ることを優先していました。

一人の女性としてではなく、子育てのパートナーとして接してばかりいました。

それが妻を孤独な気持ちに苛ませていました。

結果的に深夜2時から始まった妻との気持ちのぶつけあいは、1時間ほど続きました。

明日も午前中予定があるし、そろそろ寝ませんかと僕が切り出すと、妻は渋々寝室へ向かいました。

その日の僕は寝室ではなく、リビングの床で寝ることにしましたが、妻から打ち明けられた言葉が胸に深くささって、しばらく眠りにつけませんでした。

自分の気持ちを的確に言葉で表現できる妻の凄みに圧倒された夜でした。

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